ライトノベル海外翻訳事情 中国本土編(4)

2012/05/25

中国本土のアニメ・マンガ進出事情について私が参照した本の一冊が


(遠藤誉『中国動漫事情』日経BP社、2008)

でした。強い反日感情を孕みながらも、日本のアニメやマンガが中国で強い人気を誇るに至った経緯を調査していて、日本のオタク文化が台湾経由の安価な海賊版、あるいは無料のネット掲載で広がったことなど、基本的な知識はこの本で勉強させていただきました。

「反日感情」が強かった韓国ですら日本製アニメやマンガが流行した訳ですから、政府が極端な禁止政策を打ち出さない限り中国本土でアニメ・マンガが普及するのに不思議はありません。戦後史の中で親日文化が形成された台湾では哈日族がストレートに日本文化を称賛していて、その勢いの中でアニメやマンガが興隆する一方で、反日感情がいまもくすぶる中国本土ではアニメやマンガへの愛が屈折して表現されるというだけの話です。

 それから、北京・上海・台湾・香港・シンガポールの5箇所で本格的なフィールド調査を行った報告が以下の書籍にもまとめられています。


(『東アジアのサブカルチャーと若者のこころ』勉誠出版、2012年)

これも現状を知る、基礎資料になっています。
今回の調査でお世話になった百元籠羊さんの著作については、


(『オタク中国人の憂鬱  怒れる中国人を脱力させる日本の萌え力』武田ランダムハウスジャパン、2011)

ですが、この本の元になったブログ
http://blog.livedoor.jp/kashikou/
と共に、前述の本を裏付ける資料と見ることもできますし、何よりも読み物として大変に面白い。彼がフィールドにしているのは中国のネット掲示板ですが、日本のネットが反韓反中(というか嫌韓嫌中)の方々の跋扈する社会であるのと同等に、中国のそこは反日感情が渦巻く場所でもあります。そういう人たちが、同時に日本製アニメやマンガに夢中というか、極度のオタクだったりするという事実は、興味が尽きません。彼らに「日本が好きか?」と尋ねても「大嫌いだ」と答えるほうが普通らしいのですが、「秋葉原だけを残して日本は滅べば良い」などという回答があって、これを読んだとき私は大笑いしてしまいました。

百元籠羊さんが訳出する、オタク中国人たちの物の言い方から透けて見えるのは、経済的に豊かな国の文化が生み出す、ある種の余裕への羨望です。新しいアニメやマンガの奇矯な設定(たとえば念じるだけで女の子のパンティが消えるという能力を持つ男の子の話とか、コンビニの半額弁当の壮絶な獲得戦を描いたライトノベル/アニメだとか)、お台場に原寸のガンダムが現れたとか、結構な上位校である筈の京都大学では卒業式にコスプレするのが恒例になっているとか、そういう話題が取り交わされては「なんてことだ、我が国は当分あの国に勝てそうにない」などと、褒めているような、そうでもないような微妙なコメントが取り交わされています。

また、中国の学校には、いわゆるクラブ活動というか課外活動が無いのだそうですが、日本のアニメやマンガで出て来る部活やサークルは本当に存在するのか、そういう制度自体がフィクションではないのか、なんてことが話し合われたりもしているらしい。少なくとも「野球部の女子マネージャー」などは、あまりにも現実離れした羨ましすぎる設定なので、その実在性を強く否定されてもいる模様。

一番傑作だったのは、『オタク中国人の憂鬱』の表紙にもなっていますが、日本人への侮蔑表現「日本鬼子(リーベングイツ)」や「小日本」を女体化して萌えキャラにして遊んでいる「にちゃんねらー」の様子が報じられたときの脱力でしょうか。「なんかもう、無力感に苛まされる、、、、」「こうくるとは全く思いもしなかった。あの国はやはりよく分からん、、、」「何かこういうのを見てると、こっちの罵倒が通じているのかとても不安になる」などの反応があったそうなのですが、「俺たちがどんなに罵っても、あいつらは余裕で遊んでやがる」てなところでしょう。まあ、そうでしょうねぇ。「鬼畜米英、撃ちてし止まん!」って叫んでいる日本軍人の前で、キーチク・ベーエという名のグラマー美女が腰を振って「もっとブッて~」とか喘いでいる映画を流すようなもんですからねぇ。(喩えが下品過ぎたかも知れません。)

日本のサブカルチャーの、アナーキーで「なんでもあり」の文化は羨ましく見えているのでしょうし、それが日本のメインカルチャーを浸食している様子にしても、日本鬼子の萌えキャラ化に顕著なように下らないことに精力を費やす日本のオタクたちのシニカルな態度にしても、そういうもの一切が「自分たちに、いま足りていないもの」の象徴として語られている、、、というのは強引な読み方でしょうか。

ただ、百元籠羊さんが著作の中でしばしば表現されるように、そのように日本から中国に流れているのは「だめな文化」でもあります。本来、子供向きに作られていた筈のアニメやマンガを、成年しても見続ける需要層があり、「子供向きを装って実は成年向け作品」「絵柄だけ子供向けで純然たる成年向け作品」を作る制作者が居るというのが、「オタク文化」の要点でもあります。実際、中国のオタクの標準は「受験競争から解放された大学生」なんだそうで、子供時代にテレビで観た日本製アニメを懐かしがりながら、次から次へと日本から出てくる無茶苦茶な新作深夜アニメに狂喜して没入しているということらしい。日本のライトノベルの読者にしても、案外に平均年齢が高くて30代40代の読者が結構居るとされています。

それらを「成熟への拒否」みたいな括り方をすることも可能でしょうし、「既存の成人文化で埋められていないものを求めている」と見ることも可能なんですが、隠微な面があることだけは否めません。要するに文化的悪所です。少し前までなら「エロ」と呼ばれたものですら「萌え」という言葉で語られているのが最たる現象だと思うのですが、日本のサブカルチャーはそういう隠微なものを内包しているところに強みがあります。子供っぽさを装ったエロチズムとでも言いますか。

『金瓶梅』を筆頭として、エロ小説も大量生産してきた中華圏のことですから、この手のポストモダン期に現れた「だめな文化」も易々と自家薬籠中のものにしてしまうような気がするのですが、いかがなものでしょうか。

中国編はこのあたりで終わりにしますが、このシリーズは懲りずに、あと少しだけ続きます。

(報告 太田)