マレーシアのライトノベル

2017/11/05

インドネシアのジャカルタの後は、マレーシアのクアラルンプールに向かいました。ライトノベル翻訳探しの旅は続きます。

マレーシアはインドネシアよりも人口はぐっと少ないのですが、石油や鉱物資源をうまく活用して近代国家を作り上げることに成功した国です。首都クアラルンプールは(ジャカルタに比べると)すごく洗練された都会でした。

今回も、まず目的に見定めたのがは紀伊国屋。

ジャカルタのと似たような写真が続くのもアレなので結論から書きます。日本語の本を除けば、英語、中国語、マレーシア語のマルチリンガルな本屋です。そしてこれは、他の大型書店も同じでした。状況はジャカルタと同じでした。(そして後で書くつもりですが、インドネシア語とマレーシア語はほとんど同じ言語です。)

ただ、中国語の本の比率がジャカルタで見たのよりは多い。そして、ありました!軽小説(ライトノベル)のコーナー!

そして、中華圏でおなじみの武侠小説。この分野はB級っぽかったり大河ドラマっぽかったり色々あるのですが、少しおしゃれな感じの本も並んでました。

網路小説というのはネット小説のことです。

科幻小説(SF)もあります。

これらが香港・台湾・本土からの輸入ばかりかと言うと、そうとも限らないらしい。例えば、中国語のヤングアダルト小説っぽいコーナーがあって、そこの本の出版社を見ると、マレーシアの出版社だったりします。つまり、マレーシア国内で中国語の出版をしているのです。

街歩きをしていても、中国系書店が色々と面白いのです。やってきたのはチャイナタウン。

とある店の奥を覗いてみると、まさにマンガが山積み。

日本の翻訳マンガばかりではなく、結構怪しそうな本があるではありませんか!「言情小説」というカテゴリーがあったのですが、ポルノなんでしょうか、、、

「中華圏には、もともとライトノベルっぽい小説を受け入れる素地があったのではないのか」というのが、私の仮説だったんですが、こういうセクシャル系を強く匂わせる本を見ているとますますその感を強くしてしまいます。

もう一々調べるのも面倒臭くなる物量で、ラノベっぽい本も一杯。おそらく、中国語オリジナルのものが相当並んでいるはずです。そして古本屋に行くと、アメリカンコミック風の中国マンガもあって中々に楽しかったです。

で、マレーシア語の本はどうなのか。中国語ほどではないですけれど、そこそこ健闘しています。Novel Remajaは「ティーン小説」の意味です。アレーシア語のヤングアダルト小説ということになりますが、少女小説っぽくってラノベっぽい。フィリピンと似た感じです。

マンガも、現地化していますね。

そして、、、ティーンズ向けフィクションのコーナーに目指すものはありました。

マレーシア語に翻訳されたライトノベルは米澤穂信の古典部シリーズ、『愚者のエンドロール』『クドリャフカの順番』でした。日本に帰ってきてからマレーシアの紀伊国屋のサイトで調べると『氷菓』も在庫があったらしいのですが、私が見たときにはマンガ版しか見当たりませんでした。シリーズで刊行されているのですから、そこそこ売れているということなのでしょうか。

結論として、「マレーシアにはライトノベルの中国語訳なら一杯ある。マレーシア語翻訳はまだあまりない」でした。

ところで、インドネシアとマレーシアの言語状況については考えておかなければいけない点があります。機会があれば、そのお話も書きたいと思っています。

(太田記)

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インドネシアのライトノベル

2017/11/05

外国の本屋で日本のライトノベル翻訳を探すというこの連載、しばらく途絶えていました。今回、東チモール(インドネシアの東の端に位置する国)に行く機会があり、その帰りにジャカルタに立ち寄って久々にライトノベル探しに勤しみました。東チモールのライトノベル探しはやらなかったのかと聞かれそうですが、首都ディリの本屋全てを回った上で(5軒しかありませんけど)「そんなものは無い!」と断言します。あそこはそもそも書籍の絶対量が少なすぎるのと、人口が100万人なのでライトノベルの翻訳出版が行われるなんてことは当面有り得ないのです。

それはともかく、インドネシアのジャカルタは人口1000万人の大都会です。これまでの経験上、ラノベ翻訳が一番有りそうな海外の本屋である紀伊国屋に向かいました。

まず、マンガ関係から見ておくと、日本語のマンガがあり、英語翻訳のマンガとアメリカのコミックがあり、中国語翻訳のマンガがあり、インドネシア語翻訳のマンガ、インドネシア語オリジナルのマンガがあります。

日本語書籍があるのは紀伊国屋だからなのですが、マンガに限らず、書籍としては英語・中国語・インドネシア語の3言語の本が置いてあります。これは他の書店でも見られた現象で、要するにインドネシアの本屋はマルチリンガルなのです。(これはフィリピンでも、タイでも見られた現象ですね。)そして、インドネシア語よりは英語の本の方が多いようです。特に専門書の類はインドネシア語が弱いように見受けられました。

マンガの話に戻りますが、日本のマンガは英語と中国語とインドネシア語の3種類の翻訳が販売されているということになります。結構凄い状況だと言えないでしょうか?

さて、肝心のライトノベルです。紀伊国屋なので日本語のライトノベルはいっぱいあります。

英語のライトノベルを探したら”MANGA”の棚にありました、、、どうも独立ジャンルとして認めてられていない模様。

そして、インドネシア語のライトノベルを探したのですが、、、、無い!中国語のライトノベルも見当たらない!

もう一軒、別の本屋に行って見ました。こちらにはインドネシア語のマンガ(コミック)がいっぱい置いてありました。結構自前でマンガが生産されていますね。輸入マンガよりも薄くて安い感じです(値段を控えるのを失念しました!)。

中国語のオリジナル漫画(マンファ)も結構出ています。

しかし、ライトノベルは見当たりません。インドネシア語のライトノベル探し、今回は敗退のようです。

なお、紀伊国屋でも、こちらの本屋でも少女小説っぽいのがそれなりにありました。フィリピンのラノベっぽい少女小説の大群、あるいはBL花盛りのタイよりはぐっとおとなし目ですが、やはり少女小説はあるのです。

この少女小説を見ていたら、ハングルが入ってる?でもインドネシア語だし著者名からみても翻訳というわけでもなさそう。買ってきて中身を見ていると、韓国人名が出てくるので舞台が韓国なのかもしれません。

さらに表紙に「愛している」という日本語の入った本まで!これまた翻訳では無いのですが、どうも憧れの日本に行くことになった女の子の話らしい。中を見ていると”yuki-chan”(ゆきちゃん?)のような呼びかけもあります。

韓国の少女小説が中国で大流行して、「韓国っぽい」少女小説が中国で大量生産された時期があったことは知っていましたが、そのインドネシア語版もあったとは!そしてその余波なのか日本を舞台にした小説もあったとは。

一度どこかで書いた覚えがあるのですが、昭和の少女マンガにはアメリカやフランスを舞台にアメリカ人やフランス人が主人公のマンガが結構ありました。萩尾望都ですら、そういうマンガを描いていたのです。それと同じ現象が、日本や韓国を対象にしてインドネシアでも起きているのかもしれません。

(太田記)


研究会メンバーの新刊情報(『言語と思想の言説 近代文学成立期における山田美妙とその周辺』)

2017/11/01

ライトノベル研究会のメンバーである大橋崇行氏が、以下の書籍(単著)を刊行致しました。

■ 大橋崇行『言語と思想の言説 近代文学成立期における山田美妙とその周辺』(笠間書院)

言語と思想の言説[ディスクール]: 近代文学成立期における山田美妙とその周辺 言語と思想の言説[ディスクール]: 近代文学成立期における山田美妙とその周辺
大橋 崇行

笠間書院 2017-11-06
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明治における〈近代〉の実態を探る。
江戸以前の「知」、海外から流入してくる「知」――。
明治期、活字メディアによる情報革命の中で、多様な「知」はさまざまに錯綜し、新たな言説は生み出されていくこととなった。その過程の総体を、山田美妙から明らかにしていく書。

ある時代の言葉は、どのように運用、共有され、新たな文化として再編成されていくのか。目の前にあるテクストだけを精読しても読み取ることのできない領域が、言葉には張り巡らされている。山田美妙は言葉とどう格闘し、そこでは何が起こっていたのか。

この時期の「知」のあり方と「文学」「小説」との関わりについて考え、「文体」や「文法」の問題、そのときに用いられる言葉が持つ概念、言葉が文章として構造化されたときに表現される「思想」がどのように捉えられていたのかついてを考えていくことで、日本の〈近代〉の実態を炙り出す。
笠間書院HP

【文責:山中】


『ユリイカ』掲載情報

2017/10/31

現在発売中の『ユリイカ』(青土社)に、ライトノベル研究会メンバーの論考が掲載されています。お近くの書店等でお見かけの際は、ぜひ手に取ってみて下さい。

『ユリイカ』2017年11月号 特集=スティーヴン・キング―ホラーの帝王―

【掲載論考】
 一柳廣孝「神を問う―キング『呪われた町』から小野不由美『屍鬼』へ」

ユリイカ 2017年11月号 特集=スティーヴン・キング ―ホラーの帝王― ユリイカ 2017年11月号 特集=スティーヴン・キング ―ホラーの帝王―
スティーヴン・キング 恩田陸 風間賢二 広江礼威

青土社 2017-10-27
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『ユリイカ』2017年11月臨時増刊号 総特集=志村貴子―『敷居の住人』『放浪息子』『青い花』から『淡島百景』、そして『こいいじ』へ―

【掲載論考】
 嵯峨景子「因果・憧憬・制服――スポットライトの外のざわめき」

ユリイカ 2017年11月臨時増刊号 総特集◎志村貴子 ―『敷居の住人』『放浪息子』『青い花』から『淡島百景』、そして『こいいじ』へ (ユリイカ臨時増刊) ユリイカ 2017年11月臨時増刊号 総特集◎志村貴子 ―『敷居の住人』『放浪息子』『青い花』から『淡島百景』、そして『こいいじ』へ (ユリイカ臨時増刊)
志村貴子 青木俊直 イシデ電 岩岡ヒサエ 谷川史子

青土社 2017-10-28
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【文責:山中】


【イベント情報】9/26 目白大学トークイベント VRが更新するリアリティ(文化庁メディア芸術祭関連)

2017/09/23

研究会メンバーの山中が勤務する目白大学にて9月26日(火)、社会学部メディア表現学科が共催機関となり、文化庁メディア芸術祭実行委員会主催「第20回文化庁メディア芸術祭 受賞作品展」の連動企画「目白大学トークイベントーVRが更新するリアリティー」が開催されます。現在、受賞作品展が初台のNTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、東京オペラシティ アートギャラリーなどで行われていますが、そちらと合わせていかがでしょうか。詳細とお申し込みはコチラ

トーク「VRが更新するリアリティ」

近年話題となっているVRについて、エンターテインメント的な側面と学術研究的な側面の双方からのアプローチを紹介し、VRとリアリティのあり方について考えるレクチャー形式のトークイベント。

日 時:2017年9月26日(火) 18:00〜19:30(開場 17:30)
会 場:目白大学新宿キャンパス 研心館
定 員:400名
参加費:無料(一般の方は要事前申し込み

出演:
石井 晃/鈴木 一平[アート部門審査委員会推薦作品『Optical Marionette』]
松本 啓吾[エンターテインメント部門優秀賞『Unlimited Corridor』]
阿部 達矢[エンターテインメント部門審査委員会推薦作品『anywhereVR』]
モデレーター:
遠藤 雅伸[ゲームクリエイター/東京工芸大学教授]
小林 頼子[目白大学社会学部メディア表現学科教授]

【文責:山中】


アメリカのYA小説その後(2017)

2017/09/06

かなり前に、アメリカのヤングアダルト小説(YA)の話を書いていましたが、少し書き足しておきます。

まず、以前に紹介した”Me and Earl and the dying girl”(『僕とアールと死んでいく女の子』)
https://societyforlightnovel.wordpress.com/2016/02/17/アメリカのヤングアダルト小説1/
の日本語翻訳が8月に出版されています。

金原瑞人訳『ぼくとあいつと瀕死の彼女』ポプラ社、2019年

金原先生、やはり目をつけていらっしゃいましたか。

訳文はかなり、はっちゃけていて良い感じです。

I have no idea how to write this stupid book. (原文 p.1)
いったい、どう書けばいいんだよ。こんなくだらない話。(金原訳 p.6)

うまいなあと感心したんですが、原文と比較しながら読んでいるうちに、翻訳の恣意性というか、訳文の妥当性みたいなものについて少し考え込みました。口語に寄せすぎているようにも思えるのです。例えば、以下の訳文:

It was incredible. (原文 p.81)
すっげぇよかった。(金原訳 p.6)

原文はいかようにでも訳せるかとは思います。「信じられなかった」とか「途方もなかった」とか選択肢はかなりありますが、その中から主人公の口調として最適なものとして訳者が選んだ結果としての「すっげぇよかった」なのです。問題は、それが主人公の「語り」として妥当なのかどうかということ。

主人公は、中流のユダヤ人家庭に育っていて(作者も中流ユダヤ人)、グレている訳でもない。父親は週に一コマしか授業していないとはいえ大学教授だし、母親はNGO職員でインテリっぽい。その母親の言うことに主人公はいつも渋々ながらも従っている。黒人の崩壊家庭のアールとは付き合っているけど、悪いことには手を出さず二人で映画を撮っている。アールの家にはいくらでも転がっている、タバコにも酒にもドラッグにも手は出していない。根が真面目なんだろうなという印象です。

主人公の語りが途中で箇条書きになったりしますが、「ちゃんとした文章にするのが面倒臭いので後は箇条書きにしとくわ」のような主人公の身振りの背後に、要点をまとめてノートに取っておくのが癖になっている優等生根性みたいなものもチラチラします。つまり、この主人公は自身の語りにsucks(金原訳「サイテー」)みたいな俗語を多用していますけれど、真面目な子が少し無理して俗っぽく語っている印象が強い。というか、語りの中のそういう俗語表現のギャップみたいなものを楽しむ小説であるような気がするのです。しかし、金原訳は全体を口語表現に寄せます。例えば、以下の文章です:

In fact, high school is where we are first introduced to the basic existential question of life: How is it possible to exist in a place that sucks so bad? (原文p.5)
だって、高校ってところは人生で誰もが抱くこういう疑問に初めてぶち当たる場所だから。どうやったらこんなサイテーなところで生きていけるんだ?(金原訳)

“the basic existential question of life”が「人生で誰もが抱くこういう疑問」と訳されてます。以前、私がこの本を紹介した時にはこの翻訳本は出てませんでしたから、私は勝手にこの部分を「人生の基本的実存的問題」と訳しておきました。原文にはexistentialという少し硬めの単語が使われる一方で、その直後の太文字部分ではa place that sucks so bad(クソみたいに最悪な場所)という俗語(sucks)混じりの表現が出てきますから、そのギャップみたいなものを強調してみた訳です。金原さんの訳「the basic existential question of life/人生で誰もが抱くこういう疑問」では砕いて訳しすぎじゃないのか。そんなことを思いました。

ただ、まあ、ラノベ的な文章に慣れた日本の読者相手には丁度良いのかなとも思えます。翻訳では、誰が読むのかを考えて、そこに合わせて訳文を考えていかなければならないのですが、今の日本の標準的な若い読者層を考えた場合、こういう語りで読ませてしまうのも十分ありなのかなとも思えました。

ともあれ、英語でしか読めなかった時にはなかなか人にオススメできなかったのですが、これで気楽にオススメできます。是非どうぞ。

*****

次に、アメリカの本屋のYAの棚をぶらぶら歩いていて、「書店員のオススメ」みたいなポップを頼りに本を漁っていたらこんな本にぶち当たりました。Jerry Spinelli “Stargirl” Ember

2000年の作品なので決して新しい小説ではありませんが、書店員がオススメするということは、流行り廃れが激しいYAの中での古典的なポジションの作品なのかもしれません。よくよく調べると、日本語の翻訳も出てました(『スターガール』2002年、理論社)。面白かったので、英語で読み切っています。

読み始めてすぐに「これはMPDG(マニック・ピクシー・ドリーム・ガール)じゃないか!」と驚きました。MPDGについては https://societyforlightnovel.wordpress.com/2016/03/08/アメリカのヤングアダルト小説(5)/ でも紹介しましたが、日本語で雑に訳すと「躁的不思議ちゃん」。一言で言えばエキセントリックで突拍子も無いことを言ったり実際にやっている女の子に、平凡な男の子が振り回される話です。実際、慌てて検索してみたら、これはMPDGの元祖的な作品だとしている人もいました。

Stargirlではヒロインは奇妙奇天烈な衣装で学校に現れて(アルプスの少女ハイジっぽかったり、キモノだったり、西部開拓時代の格好だったりします)、背中にはウクレレを背負っていて、昼休みの食堂ではその日の誕生日の生徒のために「ハッピバースデー、トゥーユー」を歌い、数学の授業では突然、自作の「二等辺三角形の歌」を歌ったりします。当然生徒たちはドン引きなのですが、彼女は全く意に介していない(ように見えます)。学校中が彼女の存在をいぶかしむ描写が続く中で、以下のような文章が出てきます(太田訳):

雲ひとつない学校の上空にたった一言が浮かんでる感じだ。

          はあ?

以前MPDGを紹介した際に、涼宮ハルヒの翻訳ノベルがアメリカで例外的に売れたのは、もともとああいうキャラクターはMPDGとしてアメリカのYA市場では普通に受け入れられていたからということを書いた私としては、ちょっと見逃せません。そう言えば、ハルヒの翻訳本の表紙はこの本の表紙に雰囲気がかなり似ていませんでしょうか?おそらく出版社も似たような読者層を狙ったものと思われます。考えてみるとハルヒの出版は2003年なので書かれた時期もかなり近いのです。

もっとも似ているのはヒロインがぶっ飛んでいて、周りとズレているというところだけで、話の内容は『ハルヒ』とはかなり違います。
ハルヒはサブカル系の事柄(タイムトラベル、宇宙人、超能力者etc)に固執しますが、スターガールが固執するのは「親切」とか「思いやり」。そして、ハルヒが一般の生徒からは変人扱いされて放っておかれているのとは対照的に、スターガールは学校中からネグレクションを受けます。同調圧力と、それに従わない者を村八分にする学校社会問題みたいなものが扱われることになるわけです。そしてハルヒの内面があまり描かれない(『涼宮ハルヒの憂鬱』でヒロインの内面吐露が一箇所だけ出てきて、その後は一切内面描写されなくなる)のに対して、スターガールの内面はかなり突っ込んで描かれます。ということで、日本のライトノベルからは少し離れた、正統的なYA小説ではあります。
ところで、この小説の語り手の男の子というのがかなり情けない。スターガールが一時的に学校の人気者になって、そこから村八分に転落する直前のタイミングで彼はスターガールと恋仲になるのですが、そのために彼も一緒にネグレクションを受ける羽目になります。最初は二人でなんとか事態を打開しようと頑張るのですが、彼はやがて諦めてしまい、そこから先はスターガールが一人で自分を貫いていく姿を傍観していくだけ。スターガールはおそらく少女小説なので、語り手の男の子は視点として利用されているだけなのだろうとは思いますが、それにしても情けない!
こうしてみると『ハルヒ』の語り手(キョン)というのは、傍観者の立場を保持しながらも、語りが相当に個性的だったし捻くれていて、そこがあのテキストの読ませどころだったんだろうなと再認識できました。

(太田記)


研究会メンバーのイベント情報 (5月開催分)

2017/05/07


■第2回宗教人類学研究会「著者を囲んで ~大道晴香著『「イタコ」の誕生:マスメディアと宗教文化』を読む~」

日時:2017年5月15日(月)18:20~20:30
場所:立教大学池袋キャンパス 12号館2階 ミーティングルームA・B
詳細はコチラ

「イタコ」の誕生: マスメディアと宗教文化 「イタコ」の誕生: マスメディアと宗教文化
大道 晴香

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■日比谷カレッジ「少女小説は死なない―氷室冴子から現在まで」

日時:2017年05月16日(火) 19:00~20:30
場所:千代田区立日比谷図書文化館 地下1階 日比谷コンベンションホール
詳細はコチラ

コバルト文庫で辿る少女小説変遷史 コバルト文庫で辿る少女小説変遷史
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【文責:山中】


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