稲葉真弓氏について

2014年8月30日、『エンドレスワルツ』『半島へ』等の作品で知られ、今年春には紫綬褒章を受けられた作家・稲葉真弓氏が、64歳で亡くなられました。5月の褒章受章、また同月発売の「新潮6月号」に随筆を寄稿されたばかりであったことから、多くの方々が驚かれたことと存じます。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

[参考] 【訃報】作家で詩人、稲葉真弓さん死去(msn産経ニュース)

この稲葉氏の訃報と時期を同じくして、主にインターネット上では、ある話題に関心が集まっていきました。それは前掲の「新潮6月号」に稲葉氏が寄稿していた随筆の内容です。

「私が〝覆面作家〟だったころ」と題されたこの随筆では、かつて稲葉氏が「倉田悠子」の変名を用い、覆面作家として小説を執筆されていた事実が語られていました。随筆の内容自体は、すでに「新潮6月号」の発売時点でニュースとなっていたようですが、Twitter等を見る限り、後になって知ったという方が私を含めて多かった模様です。

[参考] 「新潮」110周年で記念特大号(YOMIURI ONLINE)

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「倉田悠子」と聞いてピンと来る方は、10~20代の若い世代ではおそらく少ないかと思います。何しろ、同名義の小説が刊行されていたのは1980年代後半~90年代初頭が中心でしたし、現在は全て絶版となっていますから。特に有名な作品としては、1980年代に一世を風靡した美少女アニメ『くりいむレモン』シリーズのノベライズがあります。版元となったのは、富士見ファンタジア文庫や富士見L文庫で知られている富士見書房で、当時は富士見文庫から刊行されていました。

なお、「倉田悠子」名義の作品を刊行していた富士見文庫の一連のシリーズは、通称「富士見美少女文庫」と呼ばれており、現在のジュヴナイルポルノの先駆的存在とされています。「富士見美少女文庫」については以前にも紹介記事を投稿しており、また『コンテンツ文化史学会2012年大会予稿集』(2012年12月刊行)には大会発表時の予稿(「あの日見た文庫の存在意義を僕達はまだ知らない―八〇年代OVAノベライズの動向と富士見美少女文庫―」)を収録しておりますので、詳細はそちらをご参照下さい。

[参考] 『コンテンツ文化史学会2012年大会予稿集』(2012年12月刊行)
[参考] ラノベ史探訪(18)-「富士見美少女文庫」の名称はどこから来たのか?

さて、「富士見美少女文庫」からは1986~93年にかけて計30冊の作品が刊行されました。このうち「倉田悠子」名義の作品は19冊。ほぼ「倉田悠子文庫」と言っても過言ではない状況でした。 19冊のうち、さらに半分以上は『くりいむレモン』や『レモンエンジェル』等のノベライズですが、書き下ろしのオリジナル作品も含まれていました。前述の通り全て絶版となっていますが、国立国会図書館には蔵書があり、時々ですが「まんだらけ」等の中古書店で見かける機会もあります。

kuratayuuko「倉田悠子」名義の19作品書影

【「富士見美少女文庫」刊行の「倉田悠子」名義19冊】
①『旅立ち 亜美・終章 くりいむレモン亜美より』1986.06
②『SF超次元伝説ラル』1986.11
③『エスカレーション』1986.12
④『黒猫館』1987.04
⑤『いけないマコちゃん MAKO・セクシーシンフォニー』1987.04
⑥『麻衣・夏の扉』1987.07
⑦『サマーウィンド』1987.10
⑧『ジュラハンター・ケネス 霊女(シーラ)の誘惑』1987.12
⑨『レモンエンジェル 智のハートでノック』1988.06
⑩『レモンエンジェル えりかのバイバイ・ララバイ』1988.07
⑪『レモンエンジェル 美希のラブ・ラビリンス』1988.09
⑫『ジュラハンター・ケネス 魔狼の砦』1988.10
⑬『マイ・ソング 亜美それから』1988.12
⑭『ジュラハンター・ケネス キ・キララの妖女』1989.01
⑮『サイレント・レイク』1989.04
⑯『堕天使MITO』1989.06
⑰『MITO 真夜中のイブたち』1989.12
⑱『MITO OH・ハニー』1990.07
⑲『続 黒猫館』1993.03

*上記の他、2008年に河出書房新社から2冊を刊行した実績あり。

稲葉氏の随筆を見る限り、執筆スケジュールは結構ハードだった模様です(確かに2ヶ月連続刊行、あるいは1ヶ月2冊刊行しているケースもありました…)。売れ行きに関する正確な情報は未確認ですが、第1作目の『旅立ち 亜美・終章 くりいむレモン亜美より』は初版が1986年6月で、翌年6月には第五版までいっています。およそ2~3ヶ月に1回重版していますので、かなりのペースで売れていたのではないか?と推測されます。

ami1版違いの3冊(左から初版・四版・五版)

余談になりますが、今回の件に関する関連ツイートを確認していると、当時から読まれていた方、現在も思い入れが深い方が多いのだなと、あらためて感じた次第です。言及される機会は少ないものの、個人的には、歴史的にも内容的にも重要性が高い作品群だという認識です。すでに刊行から20年以上が経過し、当時を知る資料も散逸が目立つようになっていますが、今後も調査を進めながら状況を明らかにしたいと考えています。

機会があれば、ぜひご本人にお話をお伺いしたかったのですが…本当に残念でなりません。最後になりますが、稲葉真弓氏(倉田悠子氏)のご冥福をあらためてお祈り申し上げます。

【文責:山中】

1 Responses to 稲葉真弓氏について

  1. […] <参考:過去の連載分> ・ラノベ史探訪(18)-「富士見美少女文庫」の名称はどこから来たのか? ・稲葉真弓氏について […]

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