ラノベ史探訪(6)-ラノベ専門誌の始まりを見てみよう【「電撃hp」編】

前回の「ラノベ史探訪(5)-ラノベ専門誌の始まりを見てみよう【「ザ・スニーカー」編】」に続き、今回は【「電撃hp」編】になります。

【「電撃hp」(メディアワークス(現:アスキー・メディアワークス))】


(「電撃hp」Volume.1(創刊号))

「電撃hp」は、今やライトノベルレーベルの雄となった電撃文庫の母体誌として1998年に創刊されました。表紙を見ると巻号(Volume.1~)も振られているので一見「雑誌かな?」と思われるのですが、実は出版物としての区分は書籍という珍しい形態をとっていました(裏表紙にはばっちりISBNコードが付いています)。ところで、現在の電撃文庫の母体誌といえば「電撃文庫Magazine」を思い浮かべる方も多いと思いますが、こちらは2007年に「電撃hp」がVolume.50で発行を終えて以降、その後継として創刊された新雑誌になります。

電撃文庫自体の創刊は1993年であったことを考えると、レーベル創刊からかなり時間を置いての専門誌創刊だったと言えます。それまで新刊案内やイベント情報は、メディアワークス発行の「電撃王」「電撃G’sマガジン」をはじめとする「電撃」各誌の他、電撃文庫の新刊についてくる「電撃の缶詰」などで発表されていたようです。


(電撃文庫創刊時のラインナップ)


(「電撃の缶詰」創刊号)

もう少し電撃文庫についてふれると、1994年から始まった新人賞・電撃ゲーム小説大賞(現:電撃小説大賞)が数多くの作家・作品を輩出していたこともあり、電撃文庫は1990年代を通じてライトノベルレーベルとしての地位を着実に固めつつありました。そうした状況下にあった1998年、電撃文庫は大きな節目を迎えます。もうお気づきの方もいらっしゃると思いますが、この年、電撃文庫はちょうどレーベル創刊5周年を迎えるとともに、その地位を確固たるものにした第4回電撃ゲーム小説大賞の大賞受賞作・上遠野浩平氏の『ブギーポップは笑わない』が登場します。そして、まさにこのタイミングで「電撃hp」は創刊されました。


(『ブギーポップは笑わない』(電撃文庫 1998年2月)

さて、そんな(現在から見て)記念すべき年に創刊された「電撃hp」の、これまで紹介してきたライトノベル専門誌にはない最大の特徴は「小説誌でありながらインターネットとの連携を強く意識していた」点です。同誌の創刊の辞からもそれをうかがい知ることができるので、少し長くなりますが以下に全文を引用します。


(「電撃hp」Volume.1(創刊号) 創刊の辞と目次)

来るべき次世紀へ向けてカウントダウンの声が高まる中、電撃文庫もまた次の世代へ向けて新たなる局面へと向かおうとしています。そのために電撃文庫編集部が用意した<場>(フィールド)が、この電撃hpです。これから新たに電撃文庫からリリースされる新作のショーケースとして、また、これまでにない作風にチャレンジする作品の発表の場として、あるいは新人の活躍の場として、私たちは電撃hpを開放します。そして、もう一つ。電撃hpには既存の小説誌にはない特色があります。それはホームページ(hp)とのリンクです。誌面に掲載される作品、記事には関連サイトのアドレスを明記し、作品世界あるいは記事でとりあげた事についてさらに詳しい情報を知ることが可能になっています。また、メディアワークスのホームページ内に、電撃hp専用ページを設けました。こちらでは、編集部から発信する情報を見ていただけるとともに、読者の皆さんと作家の皆さんのコミュニケーションの場となるようにするつもりです。本誌のキャッチコピーである<読者と作家をつなぐインタラクティブコミュニケーション・マガジン>という言葉の意味はここにあります。電撃hpの持っている可能性は無限です。読者の皆さんには、ぜひ期待していただきたいと思います。

この言葉通り「電撃hp」創刊号では、メディアミックス作品の展開状況を紹介する記事にアニメ公式ホームページのURLを掲載したり、関連情報のURLを紹介する「電撃hpハイパーリンク」を各記事に設置したり、イラストレーターのホームページを取り上げた特集「電撃hp特薦ホームページ」を組んだりと、読者を意図的にインターネットへ誘導する内容が目立ちます。


(「電撃hp」Volume.1(創刊号) 特集「アニメ@電撃文庫」)


(「電撃hp」Volume.1(創刊号) 特集「電撃hp特薦ホームページ」)

当時はインターネットの普及がかなり進み始めた頃ですから、こうした企画はある種のトレンドだったとも考えられます。しかし、単なるトレンドで片付けるのではなく別の側面から、例えば「ライトノベル」という名称の普及状況を念頭に置いて捉え直すことも出来ます。榎本秋氏が『ライトノベル文学論』(NTT出版 2008年10月)の中で「明確なデータの裏付けがない個人的な印象になるが、「ライトノベル」という言葉を耳にするようになったのは二〇〇〇年ごろ―インターネットが広く普及し、それまで以上に「読者同士」が交流を行うようになったころのように思える」(21~22頁)と述べているように、当時はインターネットを利用した読者同士のコミュニケーションが、ライトノベルにとって重要な意味を持ち始めた時期でした。こうした読者の状況を電撃文庫側が敏感に感じ取っていたならば、「電撃hp」の編集方針に少なからず影響を与えていた可能性はあります。ならば「電撃hp」のような小説誌の創刊は、榎本氏の指摘を裏付ける象徴的な出来事であったとともに、インターネットと連携した情報発信形態の端緒が開かれた出来事だった、と考えることもできるでしょう。無論、その辺りの関係性については今後さらに精査が必要になりますが…。

以上、駆け足ではありますが、「ラノベ専門誌の始まりを見てみよう」と題して「獅子王」、「ドラゴンマガジン」、「ザ・スニーカー」、「電撃hp」について紹介してきました。それぞれの個性を持った各誌について、少しでも興味を持ってお読み頂けていたら幸いです。とはいえ、資料の有無や調査状況によって内容に偏重がある感は否めませんし、ライトノベル専門誌は本当にこれだけか?と言われれば関連事項など多々あるのですが…なかなか一度に扱うのは難しいのでまた次の機会に、ということでご容赦下さい。

【文責:山中】

3 Responses to ラノベ史探訪(6)-ラノベ専門誌の始まりを見てみよう【「電撃hp」編】

  1. 榎本秋 より:

    とても興味深く拝見しています。電撃文庫の母体についてですが、初期は電撃アドベンチャーズという雑誌が母体の役割を果たしていたように感じておりますのでそちらもご確認いただけますと幸いです。

    • lnovelblog より:

      榎本様

      ご無沙汰しております。山中です。コラムをご覧頂けただけでなく、貴重な情報についてコメントを頂きありがとうございました。「電撃アドベンチャーズ」については早速確認したいと思います。追加情報などがあった際には再度コラムで取り上げたいと考えておりますので、今後ともよろしくお願い致します。

      • 山中様

        ご丁寧にありがとうございます。その後のご活躍拝見しております。特にご著書はすばらしく、なにか相談されるといつも推薦させていただいております。さて、この他にもコンプRPGやRPGドラゴンなどのTRPG系i雑誌もあります。その中でも、電撃アドベンチャーズは小説の掲載が多かったように記憶しております。現在の連載とても勉強になります。これからもがんばってください。なにか私でわかることがあれば遠慮なくご連絡ください。

コメントを残す