ラノベ史探訪(4)-ラノベ専門誌の始まりを見てみよう【「ドラゴンマガジン」編】

前回の「ラノベ史探訪(3)-ラノベ専門誌の始まりを見てみよう【「獅子王」編】」に続き、今回は【「ドラゴンマガジン」編】になります。

【「ドラゴンマガジン」(富士見書房)】

(「ドラゴンマガジン」1988年3月号(創刊号)表紙)

[基本データ]
・1988年3月創刊(月刊雑誌)
・部数=200,000

「青少年向けのビジュアル・ホビー&ストーリー雑誌。〔1〕若者に強いインパクトを与えるビジュアル企画〔2〕ホビーや遊びを中心とする情報〔3〕有力執筆陣による、コミック&ノベルを柱とする新しいタイプの若者向け雑誌である。」
(『雑誌新聞総かたろぐ 1988年版』1988年6月)

「なんで表紙がコスプレした浅香唯?」という突っ込みは一旦おいて置くとして…。「ドラゴンマガジン」の創刊は1988年3月(ただし発売は同年1月)のことです。現在も富士見ファンタジア文庫の母体雑誌として知られる「ドラゴンマガジン」ですが、同誌の創刊時点では、まだ富士見ファンタジア文庫は創刊されていませんでした。つまり雑誌がレーベルに先行して創刊されたわけです。なぜこのような形をとったのか?については、富士見ファンタジア文庫編集部・小川洋氏の発言が参考になります。

86年9月に角川がやったファンタジーフェアなどの成功があって(引用者註:富士見ファンタジア文庫の)レーベル創刊の企画が通ったんですよ。すると今度は「これをやるには新人賞が必要だ。新人賞をやるには雑誌が必要だろ」となって「お前が編集長をやれ」と。(中略)四苦八苦して「ドラゴンマガジン」を創刊して、その後に文庫をスタートさせました。
(日経BPムック『ライトノベル完全読本』(2004年8月)掲載の「国内主要レーベル編集者インタビュー」  富士見書房:小川洋氏のインタビューより)

つまり「ドラゴンマガジン」の創刊は、「文庫レーベル創刊を見越した新雑誌の創刊」であったことはもちろんですが、そこには「新人賞の受け皿となる新雑誌」という意味合いが強く付与されていたわけです。ちなみにここで言う新人賞とは、現在のライトノベル新人賞の先駆けとなる「ファンタジア長編小説大賞」(現:ファンタジア大賞)のことです。後年、皆さんご存知の通り、①雑誌、②文庫レーベル、③新人賞、④読者の4つが有機的に機能しながら、作家・作品を定期的に生み出す新人賞システムが出来上がっていくことになるわけですが…もし最初からそれを狙っての「ドラゴンマガジン」創刊であったなら、非常に戦略的で先見性が高かったと驚くばかりです。

それでは「ドラゴンマガジン」創刊前の動きを見つつ、実際の創刊号に目を向けていきたいと思います。当然ですが、創刊前には各所で告知が行われ、例えば角川書店発行の「コンプティーク」や「マル勝ファミコン」に以下のような広告が掲載されています。


(「マル勝ファミコン」1987年12月25日号掲載の広告)


(「ドラゴンマガジン」が創刊時に掲げていたコンセプト)

「新人賞の受け皿となる新雑誌」というからには、さぞや硬派な小説誌なんでしょう!?と思われる方もいるかもしれませんが…すでに冒頭で創刊号の表紙を見た以上、そんなイメージはとっくに消えてしまったのではないでしょうか。表紙に浅香唯を起用するなど、さながらアイドル誌のような趣すらあります。

「ドラゴンマガジン」に特徴的なのは、まず「新世代のためのビジュアルSTORYマガジン」というように、「獅子王」と同じビジュアル重視の姿勢を明確に示していたことです。しかし「ドラゴンマガジン」と「獅子王」とでは、明らかにその方向性が違います。「ドラゴンマガジン」はメインコンテンツを小説作品だけでなくマンガ作品にも据え、アニメ、ゲーム、アイドル、ホビーなどなど、若者向けエンターテインメントを全方位的に(しかもカラーページをまぜながら)扱っていたわけです。その意味では非常にオタク的な代物だと言えます。体裁も小説誌というより同時期のアニメ誌やゲーム誌、あるいはマンガ誌にイメージが近いですね。

(とはいえ『雑誌新聞総かたろぐ』にある「青少年向けのビジュアル・ホビー&ストーリー雑誌」という解説だとちょっとピンときませんが…)

そして想定読者としては、アニメやゲームに親しみのある「メディアミックス世代」を意識していたという点も、他の小説誌とは一線を画していました。確かにこの体裁で「小説家を目指す読書好きの文学青年がメインターゲットです!」というのはちょっと考えにくいですから。

ディオラマ、コミック、小説、ゲーム、イラストレーション。既成の枠を超えてファンタスティックなイマジネーションの世界が限りなく広がっていくメディアミックス世代のための〈夢の王国〉、月刊ドラゴンマガジン 驚きと楽しさと感動をつめこんで、ストーリーは新たなる次元に突入した!
(「ドラゴンマガジン」1988年3月号(創刊号) 7ページ)

余談ですが、アニメやゲームなど近接領域の要素を取り込んで発達してきたライトノベルの歴史を考えると、「ドラゴンマガジン」のように全方位的にエンターテインメントを扱って成立した専門誌の姿は、まさにライトノベルと相似をなすようにも見えます。思いつきもあるのでこの辺りはさらに精査が必要ですが。

(「ドラゴンマガジン」1988年3月号(創刊号)目次)

さて、創刊号では『ロードス島戦記』の挿絵で知られる出渕裕氏のマンガ『機神幻想ルーンマスカー』のほか、竹河聖氏の『風の大陸』、火浦功氏の『花の遠山署シリーズ キャロル・ザ・ウェポン』、赤川次郎氏の『アンバランスな放課後』、飯野文彦氏の『リズミック エスパー』(挿絵は後に『スレイヤーズ!』シリーズで知られるあらいずみるい氏)などが掲載されています。小説作品よりマンガ作品を先に(しかも巻頭にジオラマ&キャラクター紹介が見開きカラー2ページで!)掲載するあたりは、通常の小説誌ではありえないでしょう。さすがは「コミック&ノベルを柱とする新しいタイプの若者向け雑誌」。その他にもTRPG関連のコラムや表紙を飾ったアイドルの紹介ページ、読者投稿コーナー「ガメル連邦」など内容は多彩です。なお、前回の「獅子王」もそうですが、「ドラゴンマガジン」についても現物が国立国会図書館に創刊号から所蔵されています。「ぜひ見たい!」という方は足を運んでみてはいかがでしょうか。このコラムだけでは分かりにくい所もあると思いますので、お時間に余裕のある方はぜひに。

最後に富士見ファンタジア文庫の創刊について補足します。文庫レーベルである富士見ファンタジア文庫の創刊は「ドラゴンマガジン」から遅れて10ヵ月後、同年11月のことでした。また、すでに創刊号の時点で新人賞の募集も開始されています(ファンタジア文庫の創刊も案内あり)。そして1988年10月号で「緊急告知」と銘打った広告が掲載され、富士見ファンタジア文庫の創刊が正式に告知されます。こちらはなぜか妙におどろおどろしい告知でしたが…。


((「ドラゴンマガジン」1988年3月号(創刊号)掲載の新人賞募集案内)


(「ドラゴンマガジン」1988年10月号 富士見書房広告より)


(創刊時の告知ポスター)

以上、【「ドラゴンマガジン」編】でした。
次回は【「ザ・スニーカー」編】を予定していますので、引き続きよろしくお願い致します。

【文責:山中】

2 Responses to ラノベ史探訪(4)-ラノベ専門誌の始まりを見てみよう【「ドラゴンマガジン」編】

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