海外翻訳事情 役割語

「役割語」なる概念を御存知でしょうか?

たとえば、アニメやマンガの世界では「博士」と呼ばれる人たちは、高い確率で「~なのじゃ」という喋り方をします。しかし、現実の「博士」たち、たとえば今の東京大学の教授で「~なのじゃ」という言葉を使っている人は、まずいません。居たら、是非通報ください。この他、「おほほ」と笑い「~のことよ」と喋る「お嬢様」、「~アルよ」と喋る「中国人」など、実際にそんな風に喋っている人はほとんどいないのに、書き言葉や映画や演劇の世界では定着してしまっている言葉が日本語にはいっぱい有ります。

 つい最近に金水敏という言語学者が、こうした言葉を「役割語」と命名しました。研究会も組織されて本も出ています。

金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』役割語研究の地平『役割語研究の展開』
(左から金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』岩波書店、金水敏編『役割語研究の地平』『
役割語研究の展開』いずれも、くろしお出版)

 ごく大雑把にいえば、役割語は文芸の世界で大変に便利な手法です。細かい人物描写をするよりも、その人物に「~なのじゃ」と発話させるだけで、読者は「この人は博士だ」ということを理解するからです。

 起源的な話をすれば、「~なのじゃ」は江戸時代の戯作や歌舞伎にまで遡れるのだそうです。その頃のお医者さんだとか学者というのは、新しく形成されつつあった江戸言葉を使わずに、すこし古めかしく聞こえる上方(京都や大阪)言葉を保持している人達と言うイメージが江戸の人達の頭の中には出来ていて、それが戯作や歌舞伎の世界では医者だとか学者は当時の関西弁である「~なのじゃ」という言葉を喋らせることになり、その伝統が、そのまま明治から昭和平成まで続いてしまったということです。そんな喋り方をする博士はもはや生存していないのにも関わらず、『名探偵コナン』の博士などもいまだに「~なのじゃ」と喋り続けている、、、そういう話です。

 関西弁自体は、江戸時代の途中で音韻変化を起こして「~なんや」という喋り方になりました。もし、この音韻変化がもう少し早くに起こっていれば、『鉄腕アトム』のお茶の水博士も「はよ行くんや、アトム」などと喋っていたのかもしれません。が、しかし、これは話が逸れました。

 方言も文芸作品の中では役割語として機能します。金水は、大阪弁を喋る人物は「笑わせ好き」「ケチ」「喰いしんぼ」「派手好き」「下品」「ど根性」「ヤクザ」などの性格付けが行われている例が多いことを示していますが、東北弁が田舎者を示し、九州弁が男っぽさを示す等、似たような性格描写機能が思い浮かぶことと思います。

 アニメやマンガ、ライトノベルではさらに「キャラ語」が用いられているという見方もされています。「~ポコ」などと喋る人物が、実際の世の中に居るとは思いませんが、「そういう喋り方をするキャラクター」ということにしてしまう例は、ゴマンとあります。一人称でキャラクターを特定する例もあって、『戯言』シリーズの久渚友は「僕様ちゃん」と自分のことを言ってますが、実際にそんな一人称を使っている人は実在しそうにありません。でも、そのように喋ればそのキャラクターが特定できます。

 実際に小説を書いたことがある人はお分かりになると思いますが、会話文を書く上で、誰の発言なのかを明示するために「~は言った」とイチイチ書くと文章のテンポが乱れますし、読んでいても繁雑に感じます。しかし、それ無しにどの発言が誰によるものなのかを書き分けるのは、結構難しいものなのです。役割語、あるいはキャラ語を使えば、そういう問題は一気に解決しますので、ライトノベルなどでは多用されるのでしょう。

 さて、ここからが本題なのですが、こういう役割語って外国語にもあるのでしょうか?無いわけじゃ無いのですが、日本語のように語尾(終助詞)を変えたり、一人称を変えたりという手法は、例えば英語ではとれません。英語に終助詞に相当する品詞はありませんし、一人称は“I”しかありませんから、別の手法が採られます。例えば、日本語の世界で「田舎者」を示すための役割語は「東北弁の一人称と語尾」に担われてきました。「おら、~だべ」みたいなやつです。これがアメリカだと、黒人訛り、南部訛り、テキサス訛りなどの英語になり、イギリスだとスコットランド訛り、ウェールズ訛りの英語を用いる例が多く、子音の脱落や母音の変化で示されます。例として、『ハリーポッター』シリーズのハグリッド(イギリス西部地域)の話し方を紹介しておきましょう。

 “Tha’s very nice of yeh,” said Hagrid. (“Harry Potter and the Half-Blood Prince”)

 That’sから子音が脱落してTha’sになり、youの母音が変化してyehになっています。ついでなので、同じく『ハリーポッター』で出てくる「ヨーロッパ大陸訛り」の英語の例も示しておきます。

 I am ‘oping to get a job ‘ere, to improve my Eenglish. (“Harry Potter and the Goblet of Fire”)

 フランス人はHの発音が出来ませんから、Hopingが’opingになり、hereが’ereになる喋り方はいかにも大陸のフランス人っぽく聞こえるのだそうです。EenglishのEがEeと連続しているのは「アングリッシュ」というフランス語訛に陥らないように強調して「イーングリッシュ」と発音しているってことなのでしょうか。よくわかりませんけれど。

 ただ、英語の世界でこういうのは、そんなに使える手法ではありません。だから、イギリス風な言い回しで「上流階級」を示したり、文法を間違えさせて「無教養」を示したり(「日本人」を描くときにも、冠詞を落とした話し方をさせたりします)、色々な手法を駆使して「その人物らしさ」を演出しなくてはなりません。それは、日本語の小説だって同じことなのですが、役割語という便利なツールが揃っているので、それに頼ってしまう小説も多いことも確かなのです。逆に言うと、役割語だとかキャラ語に頼っている小説が安っぽく見えるのは、会話文による細やかな人物描写をやっていないことが見えてしまう書き方だからです。

 ともあれ、役割語だとかキャラ語にはその言語固有の事情があるので、機械的には翻訳しにくいのです。となると、役割語だとかキャラ語にあふれたライトノベルの翻訳はどうすればよいのか?これはもう、「丁寧に訳す」としか言いようがありません。役割語によって表現されている人物設定を、別の手段で表現するしかないのです。お嬢様なら、上流階級が使いそうな言い回しをさせ、博士なら知能の高い研究者が使いそうな表現で喋らせる。そうなれば、翻訳技量もそれなりに要求されます。ライトノベルの文章は平易だから翻訳も簡単である、とはならないのです。

 あるいは、そういうのはすっ飛ばして翻訳してしまうのか。『狼と香辛料』は、そのような事例に見えました。この作品で、萌えキャラの獣神ホロは「わっち」「〜でありんす」みたいな郭(くるわ)言葉を使います。何百年を生きている異形の存在に古めかしい言葉を使わせるのは分かるとしても、何故、遊郭で芸者さん達が使っていた言葉なのか。ホロは仮にも豊穣の神様なのですから、よく考えると実に奇妙な取り合わせなのですが、ライトノベルっぽい安っぽさというか、いい加減さが出ている事例だと思います。その『狼と香辛料』を翻訳したYenPressは、このホロの「キャラ語」を無視しているように見えますし、古めかしい特別な言葉も使わず、普通の言葉で喋らせているように見えます。(ネイティブな話者に確認してもらう必要はありますが。)そうなると、萌えキャラが郭言葉を話している『狼と香辛料』という作品から我々が受ける印象の中の、ある部分は英語翻訳から落ちているんじゃないのかという気がするのです。少なくともyouの古型であるthouを使って古めかしく喋るという方法が英語にはあるのですが、そういうこともしません。

翻訳文:“Oh, you’re telling me to show you my wolf form.”
原文:「ああ、ぬしはわっちに狼の姿を見せろと?」 

比較的丁寧な翻訳でやっているYenPressがこうですから、独立出版系のTokyoPopだとかVitz, SevenSeasなどは推して知るべしなのかもしれません。実際、これらの出版社の翻訳文は平易な英語である分、原文の役割語に託されていたニュアンスもそっくり無視しているように見えます。

以上、役割語・キャラ語を視点にしてライトノベル英語翻訳の問題点を書いておきましたが、これが他の言語だとどうなるのか。百元籠羊さんに問い合わせた所、中国語には役割語に該当する便利なツールは無いとの返答でした。そこをどう訳すのかは、字幕組の技量の見せ所なんだそうです。その一方で、韓国語にはキャラ語尾があるという話が、上記の『役割語研究の地平』で報告されています(第二章「キャラ助詞が現れる地平」定延利之)。日本語と文法構造が同じなので、似たような操作で役割語であるとかキャラ語尾を作ることができるようです。このあたりは、韓国へのライトノベルの輸出障壁の低さの一因だったのかもしれません。

(報告:太田 2014.11.2にハグリッドの訛りについて修正しています)

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6 Responses to 海外翻訳事情 役割語

  1. ギンタ より:

    廓言葉は、別名「里言葉」とも呼ばれ、日本中の様々な場所から連れてこられた女性たちが、各自の方言を超えて意思疎通を図るために編み出されたクレオール言語という側面があります。

    また、遊女であっても最高級の地位にまで上りつめた女性は、家の奥に篭るか、労働力として酷使され、教育に恵まれなかったそんじょそこらの町娘や武家の娘などを遥かに超えた教養も身に着けていました。

    明治維新の後、政府の要人たちは、こぞって遊女を正妻として迎えました。それは西洋人と相対する時、パーティなどでは原則、夫婦で同伴するのが礼儀だったわけですが、西洋の貴族階級の女性と渡り合えるだけの教養を持った女性というのは、よほど身分の高い家の出でない限り、遊女くらいのものだったためです。

    こうして見ると、廓言葉というのは、ロレンスと出会う前にも様々な土地を旅して、知性に恵まれ、男性の前で平気で裸になれるほど性に奔放なホロには、割と似合っている喋り方かと思われます。

    > 何故、遊郭で芸者さん達が使っていた言葉なのか。ホロは仮にも豊穣の神様なのですから、よく考えると実に奇妙な取り合わせなのですが、

    古来において娼婦は現在的な感覚で言うほどの賤業ではなく、ある種の神聖性も備えている場合があります。

    古代メソポタミアには、神殿付きの娼婦、歴史用語では「神聖娼婦」と呼ばれる人々が居て、寄付に応じて売春をしていました。これは卑しい行為ではなく、むしろ相手に対して神の加護を与える、神聖な行為とされていました。また、日本にも渡り巫女と呼ばれる存在が居て、各地を回って神事を行いながら、時に客をとって売春行為をしていました。密教の立川流においては、性行為は非常に神聖なものであり、儀式に欠かせないものでした。

    このように、必ずしも神聖なものと、売買春や性行為が結びつかないわけではなく、逆に時として密接な関係を持つ場合もあります。

    もちろん、作者がそこまで考えてホロに廓言葉を喋らすようにしたのかは分かりませんが、奇妙な取り合わせとか、安っぽいというほど、おかしな設定とも思えません。

    • lnovelblog より:

      ギンタ 様

      記事執筆者ではありませんが、横からコメントさせていただきます。
      ライトノベル研究会の山口です。

      狼と香辛料は大ファンで、矢も盾もたまらずコメントします。

      ホロがどうして廓言葉を使用しているのか、著者(支倉凍砂氏)自身が話している文章がどこかにあったと記憶しています。小説の後書きではあまりそういう裏話を書かない方ですので、資料集(狼と香辛料ノ全テ)だったかもしれません。今手元にないので内容を確認できないのですが…どなたか情報をお持ちでしたらフォローアップ願います。確かホロの言葉は純粋な花魁言葉とも異なると書いてあったように思います。

      実際に現代の社会で生きた廓言葉に触れる事はまずないでしょうし、
      読者に広く共有された知識なのか、という点に疑問を感じます。そうだとすれば役割語というより、単純な異化の手法として使われていると解釈しても良いのかな、と個人的には思います。
      (つまり読者としては〈ホロは変わった喋り方をするなぁ〉くらいの認識止まりということ)

      私は文学理論や解釈の知識に乏しいので、妥当性のある考えなのかどうか自信がありませんが…

      【文責:山口】

  2. kozawa より:

    ここで提示されてる議論とそのままかみ合ってるというわけではないのですが、何かのご参考になるかもしれないなと
    http://togetter.com/li/319101
    宣政佑(선정우) @mirugi_jp さんをご存じなければプロフィールを頭に入れて読んで頂ければと思います。

    • lnovelblog より:

      kozawa 様

      引き続き、横からコメントさせていただきます。
      ライトノベル研究会の山口です。

      togetterでのまとめ情報、ありがとうございます。
      当ブログの記事も引用されており、議論の手助けになっているようで、
      ブログ管理者としてうれしく思います。

      @mirugi_jp さんも個人的にフォローしました。

      【文責:山口】

  3. 通りすがり。 より:

    足跡代わりに一言。
    ライトノベルとは異なりますが、
    セキレイという漫画があり、その登場人物の月海は「汝」、「我」と言った
    古風な話し方をするキャラクター設定になっています。
    そのアニメ版、「セキレイ」及び「セキレイ~Pure Engagement~」の
    北米版の翻訳では
    thouなどの古語を使って吹き替えされています。
    http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Sekirei_characters#Tsukiumi
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AD%E3%83%AC%E3%82%A4_%28%E6%BC%AB%E7%94%BB%29
    日本の架空キャラはそういう特徴的な話し方をするという認識が広まれば
    今後、英訳キャラも何かしらの独特な話し方に変化していくかもしれませんね。。。

  4. […] 以前、当ブログに「海外翻訳事情 役割語」という記事が掲載されました。日本語表現、特にキャラクター描写を考えるときに大切な「役割語」の概念についてまとめた記事ですが、最近になって新しい文献が出ていました。先日、たまたま立ち寄った書店で見つけて、思わず購入しました。 […]

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