ライトノベル翻訳事情 文体編(1)

ライトノベルは、そもそも「軽く読める」のが看板ですし、一般には文体も易しいと考えられています(例外も随分ありますが)。今回の調査では、一冊々々について丁寧にオリジナルと訳文を読み比べてみるということは行いませんでしたが、英訳の各書籍をパラパラと見ている限りでは、極めて平易な言葉で訳されていました。

とはいえ、ライトノベルの文体は口語的に崩れたものも随分あって、「どうやって外国語に訳すんだろうか?」と心配になるようなものも一杯あります。「アメリカ編」で既に書きましたが、ライトノベル翻訳のごく初期の例である『スレイヤーズ/Slayers』は、実に適当な意訳で日本の口語体からアメリカの口語体に「訳」していますが、意訳の度が過ぎているようにも思えます。試しに冒頭の文を比較しますが、こんな具合です。

(原文)
 あたしは追われていた。
……いや、だからどーしたといわれると、とても困るんですけど……
確かにこんなことは、世間様一般でもさして珍しいことではないわけだし、あたしにしてみればそれこそ日常茶飯事である。
しかしそこはそれ、話には筋道とか盛り上がりとかゆーものがあるのだから、ま、仕方がないと思っていただきたい。

(Tokyopop版)
 So there I was, tearing through the woods at top speed, a gang of murderous bandits hot on my tail.
   Why were they chasing me, you ask? Well, it’s a long boring story and besides, where I come from, it’s not all that odd to find yourself being chased through the woods at top speed by a gang of murderous bandits. Especially if you’re me.
   If you really want to know why I can tell you, but you don’t need to know why. Actually, it’s probably safer if you don’t know. Look, it might ruin the story for you, okay? And you wouldn’t want ruin the story, would you? Of course, you wouldn’t.

かなり文章が増えていますね。ためしにこれを日本語に戻してみましょう。

(Tokyopop版の拙訳)
ということで、わたしは凶暴な山賊一味に追われながら、森の中を最速で駆け抜けていた。
なぜ追われているかって?まあ、それは長くて退屈な話だし、わたしの居たところじゃ凶暴な山賊一味に森の中で全速力で追われるっていうのは珍しいことじゃないのだ。特にわたしの場合は。
あなたは 知りたいかもしれないが、知る必要は無い。じっさい、知らない方がいいんじゃないのかな。だって、お話がぐちゃぐちゃになるしね。OK? あなただって話をぐちゃぐちゃにしたいのかな?もちろん違うよね。

てなところでしょうか。「あんたも翻訳が下手だな」と思われるかもしれませんが、細かいことはおいて、雰囲気だけみてください。Tokyopo訳は、趣旨的には合ってますし、くだけた無駄口っぽい口調にはなっていますから、こういう訳し方も、あながち間違いではないのかもしれません。が、やはり手を抜いているという感じは否めません。うまく訳せないので、新しく文章を作ってしまったのでしょう。

これに対して、Viz社は日本人が経営していたこともあってか、もう少しきちんとした翻訳を試みているように見えますが、すでに紹介した『ロケットガール/Rocket Girl』などでは、ややこしいところを避けて無難に訳しているようなところがあります。

(原文)
素子は急に、くふふふふふふ、と笑った。
「ゆかりちゃん〜」
「な、なによ」
「信じてくれなきゃぁ」
信じられるか。       

(Viz版)
She laughed. “I need you to do something for me, Yukari.”
“What’s that?”
“Trust me.” 

あっさりしすぎていて、ライトノベルとしては物足りないところがあります。やはり、崩れた文体を許容できるのが、このジャンルの強みなのですから。

YenPress などは、とりあえずは無難な訳し方を選択しながら、工夫しながらライトノベルっぽさを表現しようと模索しているようにも見えました。これは、ライトノベル研究会のMLで平石さんから教えてもらったのですが、『文学少女/Book Girl』では、駄洒落を訳しているところがあります。外国語翻訳で一番苦労するところをきちんとやっているのです。

(原文)
「わかりました、それはもういいです、そうじゃなくて……遠子先輩は、恋をしたことってありますか」
「え?」
「食べる鯉じゃありませんよ」

(YenPress版)
“Okay, that’s enough.  I get it.  Tohko, what I meant was…have you ever been in love?”
“Huh?”  Tohko cocked her head, bewiledered.  “In…Lovecraft?”
“No, not Lovecraft.”

井上君が遠子先輩に「恋をした(in love)ことってありますか」と聞き、「食べる鯉ではありませんからね」と念を押すところですが、これを恐怖小説家のラブクラフト(Lovecraft)に引っ掛けて、遠子先輩に「、、ってラブクラフトのこと?(In…Lovecraft?)」とボケさせるという、遠子先輩に相応しい駄洒落にしてみせています。こういう細かい芸を見せる翻訳者がいるという事実は、ライトノベルの翻訳の展望を考えるときに、少しだけ良い気分にさせてくれます。

ところで、上の訳文では「遠子先輩」を”Tohko”と訳しています。英語の世界では「先輩」に相当する敬称をつける慣習が無いのですから、ごくごく順当な訳し方とは言えるでしょう。ただ、日本マンガの翻訳慣習では、こうした場合、***-sempaiと訳され続けてきたことを考えると、少し奇妙でもあります。実例を挙げておくと、手元の『のだめカンタービレ/Nodame Cantabile』(DelRay社)では、sempai, sensei, ***-kunなどの呼称/敬称を見ることができます。

日本マンガの翻訳書籍には、こうした日本マンガ固有の訳語の表が付けられていることも多く、この世界に不案内な人にも説明はされています。

前回紹介した翻訳サイトなどは、こうしたマンガ翻訳での慣習が持ち込まれ、sempaiや***-kun, ***-chanはそのまま使われますが、一般の書籍に持ち込むには、まだバリアが高いということなのかも知れません。試しに『涼宮ハルヒの憂鬱/The Melancholy of Haruhi Suzumiya』での訳語の当て方を比較すると、

マンガ版:ASAHINA-SAN

YenPress社: Asahina

翻訳サイト(Strata): Asahina-san

となっていました。ちなみにフランス語版ではマンガでも敬称はついていなかったので、これはアメリカ固有の問題なのかもしれません。他の例にも当たってみましたが、大方のライトノベルではこうした敬称は略しているものの、『戯言/Zaregoto』が***-chan, ***-sanを使うなど、扱いが一定しているという訳でもなさそうでした。

ともかくも、アメリカのマンガ翻訳の世界では日本の敬称を直訳する等の処理で、普通の英語による文芸との差異を演出していたということは言えそうです。ところが、それが小説という既存の形態に移し替えられた時、ファンサイトではマンガ翻訳の約束事が守られたのに、出版社が絡むと既存の小説の約束事に引っ張られてしまう。そんな例なのかもしれません。

(報告)

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