ライトノベル翻訳事情 翻訳サイト編

ライトノベルの翻訳を考える上で見落としてはならないのが、翻訳サイトの存在です。

海外のマンガ・アニメファン達が、それらの原作としてのライトノベルの存在を知り、読んでみたいと欲求するのは自然な流れでした。日本語が分かるファンが翻訳したテキストを集めたサイトで、多くのマンガ・アニメファン達がライトノベルを体験し、今も読んでいます。私が検索した限りで結構な影響力を持っているなと感じたのが、たとえばBakatsukiというサイトでした。


システムとしてはWikiを採用し、不特定多数の翻訳ボランティアが自由に執筆に参加できる態勢をとり、翻訳途上のものが多いにせよ2012年1月現在約50本のライトノベルが翻訳されています。主として英語への翻訳ですが、ものによっては数ヶ国語への翻訳が試みられています。人気の『涼宮ハルヒ』は、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、リトアニア語、、、、ベトナム語の計15ヶ国語に訳されつつあります。(英語は後述するように版権者からの削除要求に応じて、今はありません。)また、全体として中国語翻訳が見られませんでしたが、これは中国語の強力な翻訳サイトが別に存在するためのようです。私が見つけた中国語翻訳サイトが
軽之国度 http://www.lightnovel.cn/ でした。「こんなものまで?」と呟きたくなるぐらい、片端から翻訳されているという印象で、いったい何本の翻訳が載っているのか見当もつきませんが、英語に訳されたものよりも遥かに多数の作品が中国語に翻訳されていることは間違いありません。台湾・中国におけるオタクたちの熱気が画面からだけでも伝わってきます。少なくとも、軽小説=ライトノベルは中華圏のオタク達には受け入れられたように思えます。

こうしたサイトを違法な海賊サイトとして非難の対象とすることは簡単ですが、サイト運営者の理屈からすれば「自国語で読みたいファンがいるにも関わらず翻訳が無いのであれば、無償で翻訳されたものを無償で公開することは正当である」ということになります。あくまでもフェア・ユース(Fair Use)だということなのでしょう。ですから、英語で出版されたり、出版が予告されたものについては版権者が削除を要求してくれば上記のサイトはそれに応じます。Bakatsukiからは『ハルヒ』『狼と香辛料』『文学少女』などの英語翻訳が、そうやって削除されました。そして、何よりもこうした翻訳サイトがライトノベルというコンテンツについて宣伝・啓蒙したということは確かなことのようです。

こうした翻訳サイトはマンガやアニメの翻訳を海外のファン達が担ってきたという歴史に連なるものです。その昔、TVで日本製アニメに夢中になったファンの中には、自分たちの国で放映されたアニメが改竄されているらしいことに気がついた人もいました。さらには、自国で放映されていない膨大なアニメが日本ではどんどん生産されていること、そしてアニメの原作となるマンガが存在し、アメリカのコミックとはまるで違う形式で書かれていて、これまた大量に生産されていることも一部には知られるようになります。彼らは、そうした日本のアニメを視聴しマンガを読みたいと願うようになり、そのために日本語を学んだ一部のファンが翻訳字幕をつけて、海賊版ビデオテープがファンを通して流通することになります。やがてインターネットを利用した翻訳マンガや動画がそれに代わり、日本ポップカルチャーのファンが増加していきました。例えばフランスの有名な漫画家であるメビウスは、80年代のアメリカの西海岸に滞在中、フランス人学校に通っていた息子が友達から借りてきた、ラベルも貼っていないビデオテープの一本を観て驚きます。彼はそのアニメに魅せられ、生まれた娘を「ナウシカ」と名付けるぐらいに入れ込み、以後の宮崎アニメを注目することになります。

宮崎アニメといえば以前、ジブリ映画の海外受容の過程を調べていたことがあるのですが、『風の谷のナウシカ』がアメリカで改竄された体験に懲りたジブリは、長く海外との契約を頑なに拒否し続けました。(契約したのが、伝説的低予算B級映画プロデューサーであるロジャー・コーマン率いるニュー・ワールド・ピクチャー社だったのですが、何でそんなところを相手にしたのでしょう?)その時代に、ジブリ映画の海外宣伝と普及に努めたのはアメリカのファンサイトです。たとえばNausicaa.netは、日本でのジブリ情報をせっせと翻訳しては掲載して情報流通に努め、作品の対訳も公表していました。当時のアメリカのアニメファンは、レザーディスクを日本から直輸入し、その対訳とつき合わせながらジブリ映画を観賞するなどということをしていたのです。(正式に英語版がリリースされている現在はもちろん削除されていますが。)1996年にジブリとディズニーの契約が行われる以前から、ピクサーやディズニーのアニメーター達にはジブリ映画ファンが多かったという話も、こうしたファンサイトによる情報提供が一役買っていたと見ることができます。

中国の軽之国度を見ていても「字幕組招募人材中」との文字を見かけます。台湾経由で中国本土に広まった海賊版日本アニメに中国語の字幕を作成する人達を「字幕組」と言ったのですが、その言葉がそのままライトノベル翻訳にも使われていて、アニメ翻訳からマンガやライトノベルへの翻訳に拡大して行ったことが窺えます。(ライトノベルで字幕というのは、考えると奇妙ですよね。)

ということで、日本のサブカルチャー紹介と普及に多大な貢献を果たした翻訳サイトではありますが、翻訳事業を狙う出版社側からみれば頭の痛い事態でもあります。翻訳サイトとは翻訳の品質が違うんだと開き直るにしても、ほとんどの読者は物語のあらすじを掴んで、作品の雰囲気が解ればそれで良いのであって、正確な翻訳が欲しい訳ではありません。翻訳サイトが放置されていては翻訳出版事業が成り立たないのです。欧米のサイトなら、翻訳の出た作品についてはファン翻訳を削除させる手だても確立されつつありますが、知的財産権意識の浸透に苦労している中国のサイトに関しては、道は遠そうです。それに加えて、中国のオタクは有償の出版物に興味を示すだろうかという問題もあります。中国人留学生の人に聞いたことがあるのですが、彼は「日本のアニメやマンガが中国で流行っているのは、タダで観られるからですよ。取り締まってインターネットから海賊版を締め出しても、本やDVDを買って観ようとは誰も思いません」とシニカルに語っていました。

ただ、中国人の若年層の可処分所得(つまりお小遣い)が今後増加し、中国人の若者の消費行動が日本に似て来るのであれば、商機はありそうです。そのテストケースが、2011年の『涼宮ハルヒの驚愕』の「世界同時発売」だったのではないでしょうか。つまり、日本語オリジナルの出版と中国語の翻訳出版とを同時に行うことで、ファン翻訳の時間的余裕を与えないという戦略です。これに対しては、中国のオタク達も少し悩んだようです。発売当日に本屋に駆けつけるか、それとも翻訳サイトに掲載されるのを待つのか。結果としては、北京や上海の諸都市で長蛇の行列ができたそうで、彼らの消費行動が日本のオタクに近づいているということを証明したように思われます。(これらの情報は、中国のオタク動向を伝えるサイト http://blog.livedoor.jp/kashikou/ で知りました。)

(報告:太田)

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