タイの書店にて(3)

2016/05/23

前回紹介した、バンコクの大手書店ですが、マンガはあまり見かけませんでした。マンガ本と活字の本の間には、敷居みたいなものがあるのかもしれません。そのマンガですが、道端の露天商ではよく見かけました。一冊50バーツですから、日本円にして150円くらい。

unspecified-4

これが、ライトノベルになると169バーツであったりしますから、一気に3倍になります。マンガより小説の方が価格がかなり高いというのは、ライトノベルの流通を考える上では考慮に入れておくべき背景だと思います。

東南アジアの国々は日本のコンビニが浸透していますが、中に入ってみるとバンコクでも地方都市でも少女小説をよく見かけました。写真のように、女性向けロマンス小説と「ライトノベルっぽい少女小説」が必ず置いてあります。しかし、ここで翻訳日本マンガを見たことはありません。タイの一般書籍の流通と、翻訳マンガの流通の違いについてはどこかで考えておくべき問題のように思えました。

unspecified-7

なお、その少女小説の横に、お坊さんマンガがよく並んでいたのは、仏教国家タイならではの風景かもしれません。

unspecified-6

unspecified-5

(報告:太田)

この記事は、JSPS科学研究費補助金(挑戦的萌芽研究・15K12848「現代日本におけるメディア横断型コンテンツ
に関する発信および受容についての研究」/研究期間:平成27~29年度)の助成を受けた活動に基づいて執筆されています。

広告

タイの書店にて(2)

2016/05/19
前回はアニメイトのバンコク店という、かなり濃い店の紹介をした訳ですが一般書店ではどうなっているのか。同じ地区の中のショッピングセンターには、幾つかの大型書店があるので、それらを訪ねました。
前回のフィリピンや多くの東南アジアの国とは異なり、タイは植民地化されたことがなく、近・現代を通じて王国が維持されたために言語もほぼ統一され、言語構成は比較的単純で書店の本はほぼタイ語です。(独自の言語を話す少数民族も残っていますけれど。)
B2Sという大手書店に入って、ティーン向けの棚に向かってみると、、少女小説が目立ちますねえ。
IMG_8482
IMG_8483
IMG_8490
翻訳ライトノベルの話は少し置いておいて、これらの少女小説を見ていると、フィリピン同様に大変にラノベっぽい。
IMG_8683
IMG_8443
アニメ・マンガ風の表紙、カラーイラストページ、会話文の多さ、そういう観点からなんですが、なんとBLばかり集まった棚まであって平積みもいっぱい!
IMG_8488
IMG_8679
この物量は一種壮観ですし、しかも店の中でもかなり目立つ位置にあります。タイの性規範が他国に比べて緩いということはよく言われる話ですが、それがこんな形でも現れているんだと、妙な感心をしてしまいました。
さて、少女小説をひとまず置いて、ティーン向け書籍を探査しているとライトノベルはやはり大量にありました。各レーベルが並んでいます。
IMG_8691
IMG_8476
IMG_8475
IMG_8510
IMG_8536
ここで、今回購入したライトノベルを上げておきますと、、、
IMG_8717
左上から右下にかけて、『僕は友達が少ない』『這いよれ!ニャル子さん』『Fate/Zero』『イリヤの空、UFOの夏』。日本で手に入りにくいレーベル(Luck)を2冊入れておいたという以外、ほとんど無作為のチョイスなんですが日本でも書店から消えたんじゃないかと思えるような本が、ぽんぽん出てくるのが面白い。
形態的には中台韓の翻訳同様、かなりオリジナルの体裁に近い書籍です。サイズも文庫本のものが主流。日本の文庫本ではもはや消えてしまった、縫込みされた紐の栞がついてます。
IMG_8724
さて、では少女小説と翻訳ライトノベル以外にはどんな書籍があるのか。どうも、タイ語オリジナルのライトノベルっぽい書籍も結構ある模様。たとえば、この”How to be Game Idol”(ゲームアイドルになる方法)という小説。折り込みカラーイラストにしても、会話体の多さにしても表紙から察せられる内容にしても、「いかにも」な感じです。著者名欄からみて、翻訳ではなさそうです。
ファイル 2016-05-19 13 15 21
ファイル 2016-05-19 13 26 57
ファイル 2016-05-19 13 27 20
ソード・アート・オンライン系のお話なんでしょうか?そこはよく分かりませんけれど、ヴァーチャル・ワールドが舞台なのであれば、確かにタイ語でその種の小説が書かれても何の不思議もありません。いや、学校・学園小説にしたって、タイにも学校がある以上、タイの書き手たちにハンディがあるとも思えません。戦後の日本で、アメリカから入ってきたSFに刺激されて日本のSF作家たちが育ったという話と似たようなことが、タイで起こってもまったく不思議はないのです。
他にも、ファンタジー系小説も一つの分野をなしているのですが、さらに中国っぽい小説が結構あります。具体的に言うと、漢字が表紙に書かれていたり(中身はあくまでもタイ語なんですが)、表紙に古めの中国人が描かれているような本です。これは、少女系恋愛小説っぽいのから、伝奇、武侠と男の子っぽいのまでレンジが広そうです。
IMG_8462
IMG_8459
IMG_8676
IMG_7943
IMG_8546
IMG_8461
タイには、かなり昔から中国人が住んでいて、現在の華人系タイ人は一割ぐらいだろうと言われていますし、経済や文化の分野ではその数字以上に存在感があるとされています。そういう事情が反映しているのでしょうか。
ともかくも、女の子向け小説にしても男の子向け小説にしても、タイには豊かなマーケットがもともとあって、そこにライトノベルであるとか、BL小説だとかが上手く根付いているんじゃないか。そんな気がしたことは確かです。あくまでも、私の主観的な感想の範囲ですが、、、
最後に、B2Sでの(おそらく)女の子向け小説のベストテンは以下のようなものらしいです。
IMG_8711
(報告:太田)

タイの書店にて(1)

2016/05/14

都合があり、タイに来ています。

タイでのライトノベルについては、ラノベ研の主催者の一人である山中先生が、タイ人留学生をインフォーマントとして調査を続けていて、結構な量の日本のライトノベルが翻訳されていることは分かっているのですが、やはり現地で売られている現場を見ておきたい。バンコクで時間ができたので例によって、書店巡りということになりました。
IMG_8642
実は、この2月にアニメイト・バンコク支店が開店しています。大型ショッピングセンターの立ち並ぶサイアーム地区のマーブンクローン・センターの7階。行ってみると、同じフロアにはメイドカフェまであるではありませんか。アニメイト前には座り込んで何やらやっている一団も。コスプレをしている?
IMG_8558 (1)
IMG_8550
IMG_8673
IMG_8675
日本語しか書いていない販促立て看などもあって、日本のダメな文化が着々とタイを侵食中なのは、よく理解できました。
IMG_8674
店内、マンガに並んでライトノベルが棚いっぱいに並んでいました。原語の日本語と、タイ語翻訳のものがそれぞれに別の棚で並んでいます。
IMG_8556 (1)
山中先生の踏査によれば十近いレーベルから1000点以上の作品が翻訳されているというのですが、まあ納得できる物量です。そして、ここまであれば、「片っ端から翻訳されている」という感じにはなります。
ということでタイに日本ライトノベルの翻訳が大量にやって来ていることは、アニメイトに来れば大変によく分かります。ただ、「おたく」に特化した店ではなくて、フツーの店ではどうなのか?次回は、そこらあたりを報告してみたいのですが、帰国してからの投稿になるかもしれません。
(報告:太田)

フィリピンの書店にて(2)

2016/03/18

前回の報告の翌日、マニラ中心部からは少し離れたマカティ市の巨大ショッピングモールに向かいました。この市もメトロ・マニラの内部なので、東京に例えれば、杉並区だけど東京23区内みたいなものと思ってください。観光客の度肝を抜くような広大なショッピングモールが延々と続き、フィリピンの中間層がそれだけ多くなったことを伺わせます。

今回、やってきたのは大手チェーンのPower Books。

IMG_6773

やはり、ほとんどが英語の本で、ティーンズのコーナーもアメリカのヤングアダルト小説が並んでいます。特設コーナーに並べられていたのはアメリカのヤングアダルト・ファンタジー小説”Throne of Glass”。

IMG_6789

そこを過ぎると、ようやく出てきました。日本マンガの翻訳本。

IMG_6780

アメリカのViz Media、小学館アジア、講談社などの英訳本が並ぶ中で、Viva Psicom、Studio Studioなどという出版社からも出ています。どうもこれらはフィリピンの出版社らしく、フィリピーノ(タガログ語)翻訳の模様。。
IMG_6776

中でも『ブリーチ』と『進撃の巨人』はこの2作で一棚丸ごと使うぐらいの人気商品ですね。

クールジャパンは、フィリピンにも着実に侵攻しているようですね。Psicom社から出ているアニメ雑誌2種も見つけました。”Otaku Zine”(おたく人?)と”Otaku Asia”(おたくアジア)。後者が隔月刊の雑誌で、前者が別冊のような感じです。これは、英語で書かれています。
IMG_6783

これとは別にアメコミも健闘。やはりフィリピンはアメリカの影響が強いようです。なんといってもアメリカの旧植民地ですし、英語は公用語のひとつだし、大量の出稼ぎ移民がアメリカに渡っていますから。

IMG_6786

このアメコミの中に、ほんの少しだけフィリピンオリジナルのマンガを見つけました。日本のマンガスタイルです。これらも英語で書かれている模様。別の本屋さんでは「マンガの書き方」みたいな英語の本も並んでいたので、日本マンガのファンがせっせと練習して、プロになったんだろうなと想像しています。

IMG_6787

そして、それらの棚から離れて、やはりありました。「フィリピンオリジナルのラノベ」の棚。同種の本が大量に並んでいて、女子中学生たちがキャッキャいいながら本を選んでいました。英語ではなく、フィリピーノ(タガログ語)で書かれており、イラストを含むものと、含まないものがありました。
IMG_6790
IMG_6791

この他、本屋を見つければ入っていましたが、フィリピーノで書かれたライトノベル(らしき小説)がジャンルとして成立していることは確かなようです。そして、英語訳の日本マンガが流通し、アニメ雑誌も英語で刊行され、日本のライトノベル翻訳も見当たらないのに、なぜかフィリピーノ(タガログ語)でライトノベル(らしき小説)があるという現象。これは、どう考えれば良いのでしょうか?

なお、別の本屋では「タガログ語のロマンス小説」という棚がありました。これまた女性向け市場です。フィリピンの文字文化は英語を建前としながらも、女性達はそこから外れてフィリピーノ(タガログ語)で読む文化を育んできたということなのでしょうか?平安時代の仮名文学みたいな話になってきましたね。

(報告:太田)(3/19一部修正)


フィリピンの書店にて(1)

2016/03/15

訳あって、フィリピンに来ています。最近はこのブログのおかげで、外国に出ると本屋を探すという習性が付いていますが、今回も本屋を探してみました。

IMG_6733

とりあえず見つけたのは、マニラの中心部のショッピングモールにあったNational Book Store。Teen’sのコーナーに向かうと、、、僅かばかりの日本マンガの英語翻訳と、アメリカのヤングアダルト小説。このブログでこの間紹介したジョン.グリーンの『ペーパー・タウン』もしっかりありますね。ここで、落ち着いてあたりの本を見渡すと、英語の本ばっかり。フィリピンの公用語はフィリピーノ(タガログ語)と英語ですし、大方の人は英語を喋るのですが、それにしてもフィリピーノの本が無さすぎる。

IMG_6724

IMG_6728

書店の中を探したところ、僅かなスペースでフィリピーノの本が置いてありました。

IMG_6732

そうしたら、お目当のものを見つけてしまいました!これは、実にライトノベルっぽい。

IMG_6731

IMG_6730

旅の先は長いので、あまり買いこめないのですが、目に付いたのを購入して、ホテルに帰ってしげしげと見てみました。

IMG_6736

表紙は完全にラノベ。

IMG_6737

マンガっぽいイラストもついている。

IMG_6738

会話文がとても多いし、

IMG_6741

SNSの文章も入っていて、絵文字も入る、

IMG_6740

大文字の連続や擬声語も入る。、、しかも翻訳では(たぶん)ない。そしてフィリピーノで書かれている。(少しだけ、英語を喋る人物が登場しますが。)そして、これに類した本がどっさりあって、複数レーベルから発売されていました。

つまり、フィリピンにはオリジナルのライトノベル市場が成立している!、、、ような気がするのですが、いかがでしょうか。男の子向けではなくて女の子向けなので、ライトノベルというよりも、日本で言えば「いちご文庫」時代の状況のようにも思えます。

ついでに、マンガも購入してみました。雑誌のようですが、完全に日本マンガのタッチ。やはり、女の子向けでしょう。

IMG_6743

IMG_6745
IMG_6744

一店舗の調査結果だけでは、結論めいたことを書くのは危険なので、これ以上は書きません。明日、別の大手書店に行く予定ですが、その結果を投稿するのは少し先のことになります。

(報告:太田)


アメリカのヤングアダルト小説(5)

2016/03/08

ライトノベル研究会のブログでヤングアダルト小説の話を延々と続けるのも問題なので、そろそろ終わりにしましょう。

一連の話は「ライトノベル翻訳がアメリカで苦戦したのは、ヤングアダルト小説の市場がすでにアメリカで確立していたから」という説を検証するためには、実際のヤングアダルト小説を読んでみなければならないだろうというところから始まりました。その結果、それなりに楽しい世界が広がっていたことは確認できたのですが、このヤングアダルト小説というのは、アメリカの他の文化に対してどういう位置付けなんでしょうか?

今回紹介するのは、長谷川町蔵・山崎まどか『ヤング・アダルトU.S.A. –ポップカルチャーが描くアメリカの思春期』(DU Books, 2015)という本です。この著者達は『ハイスクールU.S.A. 〜アメリカ学園映画のすべて〜』(2006)という前著で「学園映画」というくくりでアメリカ映画のあれこれを紹介しているのですが、今回のこの本ではジャンルの壁を取っ払ってポップ・カルチャー全域で「アメリカの青春時代」を考察したんだとしています。当然のことながらヤングアダルト小説も取り上げられていて、それで私は手に取りました。
YoungAdultInUSA
もっとも、小説のことを語っているようで、実は映画化されたものについてしか語っていなかったりして、どうしても映画やドラマ中心がなってしまい、そのあたりは物足りなかったのですが、それでも示唆されるところは大きかったです。つまり、この著者達のようにアメリカの映画やTVドラマ漬けの人達からすると、ヤングアダルト小説というのは、映画やドラマの「周辺ジャンル」、あるいは並走しているジャンル作品に見えるらしい。それは日本のアニメ漬けの人達がライトノベルをアニメやマンガの周辺ジャンルもしくは並走ジャンルとみなし、「字で描くマンガ」などと表現するのとそっくりな現象なのではないかということなのです。

ライトノベルがアニメやマンガの原作供給源であったり、メディアミックスの対象になるのと同様に、ヤングアダルト小説は映画やドラマの原作供給源として機能しています。これまで紹介してきたヤングアダルト小説も、映画化あるいはドラマ化されたものは結構あるし、映画化されたことで本がさらに売れ出すという現象もあります。私が、アメリカ書店で手を伸ばした平積みのヤングアダルト小説たちも、映像化されたことで平積みされていたようでしたし。

興味ふかいことに、著者の山崎は「「大人が読むYA小説」は今やトレンドみたい。調査によると、アメリカでのYA小説の三分の一は、子供を持たない三十代から四十代の大人らしい」(『ヤング・アダルトU.S.A.』p.96)と言い、続けて評論家が「成長した大人が子供の読み物を楽しむなんて、恥ずかしい」と書いたらネットで炎上したとも紹介しています。「それくらい大人のYA読者は熱いんだよ」というのです。これは、ゼロ年代における日本のライトノベル読者とそっくり同じ現象ではないでしょうか。

この著者たちのような、「青春映画・ドラマ中心主義者」たちから見ると、たとえば2002年の映画『スパイダーマン』も学園青春映画の枠組み(特に学校内の人間関係)にSFの要素が入ったものになりますし、もちろん『トワイライト』みたいなバンパイアものは学園青春映画そのものということになります。つまり学園映画をベースにして、ラブロマンス、SF、伝奇、コメディ、様々な要素がミックスしてマルチ・ジャンル化を起こしていることになり、これも日本のアニメ・マンガ・ライトノベルの状況に大変よく似ています。(最近の日本は学校を舞台にしたものがいまひとつですが、、)

また、類型的キャラクターというのにも触れています。あるジャンルで作品群が量産されれば当然登場人物のキャラクターの類型化も進みますが、たとえばマニック・ピクシー・ドリーム・ガール(MPDG)というのが最近は良く出てくるらしい。無理やり訳せば「躁的不思議ちゃん」。奇矯なところがある美人で、主人公の平凡な男の子は彼女に振り回わされながら色々な体験に引き込まれていきます。『ペーパー・タウン』のヒロインなんかがその典型ですね。おそらくアメリカ人には、<涼宮ハルヒ>シリーズのハルヒも典型的なMPDGに見えていたはずです。

もちろん、当のアメリカ人たちはそういう「青春学園映画」をジャンル・ムービーとしてはあまり認識していないのですが、日本のポップカルチャーで大きな位置を占めているアニメ・マンガと似たような現象が、アメリカでは青春映画やドラマを中心として起きているんだと見ることは可能なのではないでしょうか。

ここで少し読者層というものも考えてみたいのですが、アニメやマンガの原作としてライトノベルを読む、映画・ドラマやの原作としてヤングアダルト小説を読むという需要は一定数あるにしても、読者がそれだけであるならば市場はごく限られたものになります。しかし、映像化されるまで誰も読まないならば、あるいは映像化前提で無ければ誰も読まないのであれば、こんなに多様な作品群は生まれようもありません。ライトノベルにしてもヤングアダルト小説にしても、それらが如何に映像メディアと親和性が高かろうとも、それを小説として享受する読者層が一定数存在するからこそ市場が成立しているのです。アニメやドラマを見ればあっという間に物語を知ることができるのに、わざわざ小説を読むのは、小説には小説の楽しみ方があるからです。

現に、2作を紹介したジョン・グリーンの小説だって、『ペーパー・タウン』ではホイットマンの『草の葉』が重要な役割を果たしますし、『アラスカを追い求めて』でも古典文学への言及が大変に多い。そういう小説を享受できるだけの素養を持った読者層がアメリカの中で、どのぐらいの割合を占めるのかは分かりませんが、そういう読者たちがヤングアダルト小説を享受していることは間違いないでしょう。

さて、アメリカにライトノベルの翻訳が現れた時に、手を出した熱心なアニメ・ファン(つまりオタク)は居たでしょうけれども、SevenSeas社、TokyoPop社、DelRayが相次いで撤退したことに顕著なように、商売としてはなかなか根付きませんでした。それは、それらのライトノベル翻訳では、普段小説を読む読者層の需要を満たせなかっただろうと想像できます。以前に紹介したように、それらの翻訳は、日本語での崩れた表現は端折ったり、簡単な英語で置き換えたものであり、物語の筋を追うぶんには分かりやすいかもしれない。しかし、ヤングアダルト小説という分野で揉まれてきた読者を相手にするには、物足りなかったものと想像できます。

ライトノベルの継続的翻訳に唯一成功したのはYenPress(現YenOn)ですが、彼らが最初に手をつけた全4作のラインナップに”Book Girl”/『文学少女』や”Kieli”『キーリ』といった、映像化展開が弱かった2作品を入れてきたのは興味深い。それらの作品では、アニメ作品のファンが購入することを見込めなかった筈ですから、YenPressは明らかにこれらを映像化を前提としない読者向けに出版しています。

そして以前に紹介したように、その頃のYenPressの翻訳ライトノベルは端正で明快で崩れたところがない英語であり、日本語の原文の崩れた文章は徹底して規範的な文章に置き換えられていました。我々の目から見れば、そういう英文は「ライトノベルっぽく」無いのですが、YenPressは敢えてそのような戦略を取ることで、(アニメやマンガへの素養と共に)小説も読むような読者も、とりあえず小説として読めるようにしたものと思われます。

という訳で「アメリカにおけるライトノベル翻訳の不振」について、ヤングアダルト小説を軸にして考えてみました。日本式アニメやマンガのようなインパクトを、ライトノベルがアメリカで発揮できなかったのは、すでに存在していたヤングアダルト小説群の水準に対抗できるような翻訳では無かったからでは無いだろうか、というのが私の推測です。

(報告:太田)


アメリカのヤングアダルト小説(4)

2016/03/04

前回は、YALSA(ヤングアダルト図書館サービス協会)が毎年発表しているトップテン・リストのヤングアダルト小説を見てきました。これとは別に最後に「売れ筋」を見ておきます。一番手っ取り早くamazonの関連カテゴリ(「ティーン向け」など)をいくつか見たり、ヤングアダルトを買い漁っていたために向こうからリコメンドしてきた、売れ筋と思える小説を何冊か求めてみました。

うち、2冊がジョン・グリーンの著作。書いた本は片端からベストセラーで、受賞歴も目白押しという売れっ子作家。第一作の”Looking for Alaska” (John Green, Dutton Juvenile, 2005)(邦訳『アラスカを追いかけて』白水社、2006)はニューヨークタイムスの子供向けペーパーバック小説のトップテン・リストに385週間(つまり7年以上)連続掲載されたという記録があります。

Looking for Alaska

フロリダの公立高校からアラバマの全寮制私立進学校に転向してきたマイルスというのが主人公。ルームメイトのチップスと意気投合し、友達でヒップホップの達人であるタクミと、美人で頭も良いけれど不安定なところがあるアラスカを紹介されます。物語の前半は、彼らと共に過ごす、やや荒っぽい寄宿舎生活が描かれます。

転校してきて早々に、マイルスは新入りの通過儀礼として裸にされて池の中に放り込まれるんですが、念入りなことに粘着テープで手足を拘束した上で放り込まれるという、かなり手荒な扱い。チップスやアラスカに敵対している「ウィークデイ・ウォーリアス」というお金持ち子弟のグループから目をつけられた結果なんですが、それに対する報復合戦というのがロクでもない。部屋に置いてあるスニーカーに小便をかけるであるとか、部屋の中にホースを突っ込んで放水するとか、シャンプーと整髪用ジェルに青い染料を入れておくだとか、先生のコンピューターをこっそり使って敵対側の親に偽の報告書を送りつけるだとか、そういうことをしでかしては部屋や隠れ家で気炎を上げ、酒とタバコに明け暮れる学校生活が展開します。初めてキスをした男女が、そのままオーラルセックスに挑むものの、やり方が解らず、女友達のところに聞きに行って歯磨きチューブで実演してもらうというような、可愛いというか、あっけらかんとした描写まであります。

そんな中で、主人公のマイルスは憧れのアラスカとの距離を詰め、キスするところまで行くのですが、その夜に一本の携帯電話がかかってきて、アラスカはヒステリックに反応。酔ったまま車で出かけ、ほとんど自殺のようにも見える交通事故で死亡します。

物語の後半は、アラスカという女の子が何を考えていたのか、恋人がいながらマイルスともキスした真意は何だったのか、そういうことに思い悩み、宗教学の授業を聞きながら死の意味を考え、チップスや仲間と共に事故の真相を追求していく過程を描きます。数ヶ月をかけて、彼らはアラスカの死を受け入れ、アラスカが卒業式用に温めていた悪戯のプランを実行し、気持ちを整理するというのが物語の粗筋になります。このアラスカのプランというのが実に下らないのですが、もしご興味があれば絶版になっている邦訳を手に入れるか、ネットの英語のサイトで検索していただければと思います。(あるいは製作が遅延していた映画が完成すれば、それで見られるかもしれません。)

この話は、著者の実体験がかなり色濃く反映しているとされおり、著者の在学中に似たような生徒の交通事故死があったし、本の中に出てくる一連の悪ふざけも、実際に行われたものらしい。高校生の風俗を描くと共に、愛と死について思い悩む古典的な物語でもあります。

なお「アメリカのヤングアダルト(1)」で紹介した『僕とアールと死んでいく女の子』では、主人公は生存戦略として高校の中のどのグループにも深く関わらず、等距離を置いていましたが、「怯え過ぎじゃないか」と思う人もいたかもしれません。しかし、この本や他の学園ものYAを読んでいると(あるいは、アメリカの青春TVドラマを観ていただければ)現在のアメリカの学校の中のグループ間対立(あるいはスクールカースト)というのは、かなり半端無いんだなということはかなり容易に想像できます。

同じ作者による”Paper Towns”(Speak, 2012)(邦訳は金原瑞人訳『ペーパー・タウン』岩波書店、2013年)はフロリダのオーランドを舞台にした、やはり高校生たちの物語。

paper town

主人公の男の子(クエンティン、愛称はQ)の部屋の窓に、深夜、隣に住む幼馴染で同級生の女の子(マーゴ)がやってきて、「ミッション」を手伝えと強要してきます。恋人の浮気で「卒業間際の高校生活を台無しにされた」ことに対して復讐を誓ったんだそうで、一晩で11のミッションを完遂させるから、車を運転しろというのです。そのミッションというのがロクでもない悪戯ばかり。セックスしている真っ最中の元彼をパンツ一丁で浮気相手の家から追い出し、局部をパンツからはみ出させたまま路上を走っている様を恐喝用の写真に撮り、浮気相手の女の子の部屋にはナマズを放り込み、ボーイフレンドの浮気について沈黙していた友達の家や車の中にもナマズを放り込み、ついでにQを虐めていた同級生の家にも忍び込んで、片方の眉毛に脱毛クリームを塗り、、といった具合。最後は近所のディズニー・シーワールドに忍び込むという、もはや復讐とは何の関係もない「ミッション」。アザラシの水槽の前で、Qとマーゴは踊ります。

街中の何軒もの家をトイレットペーパで「飾り付ける」などの悪戯に同級生たちを動員するような、「超」がつく程のアクティブで、エキセントリックで、学校のカリスマ女子生徒で、幼い頃からの片想いのマーゴの「ミッション」に、Qは一晩中付き合うことで、憧れの彼女との距離を一気に縮めるのですが、その翌日に彼女は学校からも家からも姿を消します。

彼女が失踪するのは今までにも何回かあったし、その度に彼女の伝説が増えていたので誰もがまた戻って来るだろうと考えていたものの、何日経っても彼女は戻ってこない。そのうちに、Qはマーゴが自分宛に失踪先の手がかりを残していったのではないかと考えるようになり、友人のベンとレイダーの3人で捜索を始めます。Qの自室から見える場所にこれみよがしに新たに貼られていた一枚のポスター、そのポスターの元になったレコードジャケット、そのレコードの曲名のひとつにマークが書き込まれ、曲名が示すホイットマンの詩集『草の葉』の中に青と緑のマーカーで示された詩句、、、そうやってマーゴの残した手がかりを追っていくうちに、Qはマーゴという人間のそれまで知らなかった一面を知っていくことになります。幅広い音楽の趣味を持っていたことも、廃墟の中で一人で時間を過ごすことを好んでいたことも、学校の誰も知らなかったし、幼馴染のQも想像すらしていませんでした。

Qは『草の葉』を読み込むことで、マーゴが何を考えていたのか知ろうと時間を費やしますが、彼の身の回りでは卒業を控えた最終学年の馬鹿騒ぎが同時進行し、友達のお調子者のベンは待望のガールフレンドを得て、プラム(卒業記念のダンスパーティ)にカップルで出席できることになって浮かれ、狂騒的に物語は語られていきます。卒業式の直前になってQはマーゴの居場所を突き止め、卒業式を放り出して仲間とともに、車でフロリダからニューヨーク郊外まで20時間かけて高速道路を疾走。そんな物語です。

キャラの濃い女の子に振り回される平凡でゲームが好きな弱めの男の子が主人公という設定、高校生の馬鹿騒ぎのエピソードが随所に挟まれるところ、途中でいなくなった女の子の実像を物語の後半で追い求めるというプロットの立て方などは『アラスカを追い求めて』と同様です。ただ、作者の実体験が色濃く反映したらしいデビュー作よりは、『ペイパー・タウン』のヒロインはキャラの造形が進んでいるように思えます。日本のライトノベルを読みなれた目で見ると、マーゴが涼宮ハルヒに重なったりもするのです。他にも友達のレイダーはウキペディア(作中では「オムニクショナリー」ですが、どうみてもウィキペディアです)の編集に身も心も捧げていて、いつ電話しても「今、××の記事の編集荒らしを修復したところだ」みたいなことしか言いませんし、親はギネスブックに載るくらいのブラックサンタのコレクターで、家はブラックサンタだらけでガールフレンドを家に呼べないと嘆いている。ついでに書いておくと『アラスカ』の主人公は偉人伝に出てくる「臨終の言葉」コレクターだし、ルームメートのチップスは、万国の首都を丸暗記していて、総人口も丸暗記している最中でした。このあたりは、アメリカのコメディ・ドラマに綿々と受け継がれてきたスクリューボール(変人)・コメディーの影響のように思えます。(もっとも、物語の途中からキャラの裏側にあるヒロインの<内面>が焦点化されるあたりは、キャラ小説の枠には入ってないことも書いておきます。)

 

何よりも、主人公による「語り」はライトノベルを彷彿とさせるところがあります。もちろん「若い主人公による一人称の語り」というのはアメリカではサリンジャーの『ライ麦畑で捕まえて』あたりに遡れる古い伝統だし、日本だって庄司薫『赤ずきんちゃん、気をつけて』や栗本薫『ぼくらの時代』あたりにまで遡れ、今に始まったことではありません。ただ、メイナード・泉子『ライトノベル表現論』で指摘されているような、心内会話文と実会話の連続であるだとか、実発生音の表記であるだとか、その種のメイナードが言うところの「語り手が読者に対して親しさを演出する」表現が、これらの作品に頻出していることは確かなのです。俗語表現はかなり多いですし、方言も頻出します。

例えば、テレビゲームをやりながら登場人物が喋るシーンでは、主人公への返事とスクリーンへの罵倒が入り混じったセリフになります。

レイダーは僕の話に支離滅裂な返事をした。リザレクション(引用者注:TVゲーム)をプレイ中だとこうなる。「おれはマーゴがいなくなった理由だってわからない。単なる六時の方向に小鬼だおいなにやってんだレーザー銃使えよ失恋とかじゃないの?マーゴはそういう地下室の場所は左だ方面には動じないタイプだと思っていたけど」(邦訳『ペーパー・タウン』p.133)

引用したのは邦訳ですが、原文でもピリオドやコンマを欠いた罵倒文が挿入されていました。ものを食べながらの会話では、

“Dude,” Takumi responded, “yaw guhwend,” and then he swallowed a bite of food, “is a Weekday Warrior.”   (“Looking for Alaska” p.23)

「よう、」タクミは応えた。「おむぁぇのぐぁーるふれんどだって」と言ったところで口の中を飲み込み「ウィークデー・ウォーリアだろう」。

みたいなセリフが出てきますし、1行段落文も出てきます。

To me. (“Paper Town p.133”)

僕に。(邦訳『ペーパー・タウン』p.166)

酔っ払った同級生がわめき散らしている様は

“YES YES YES YES YES YES YES YES YES YES YES YESSSSSS!!! YES! YES!” (“Paper Town” p.177)

のように表現されます。心内会話文は随所に出てくるのですが、

「(…) Qはみんなに好かれてるなんてどうでもいいんでしょう」

そうともいえるし、そうじゃないともいえる。「僕は自分で思うより気にしてるよ。(邦訳『ペーパー・タウン』p.230)

のように、相手からの問いかけに対して、まず心内会話で受け、それから実際の発話文が続くというようなことも行われています。

なお、この二つの小説は古典文学への言及がかなり多い。『ペイパー・タウン』では『草の葉』の解釈が物語の途中で延々と語られることになるし、『アラスカを追い求めて』もアラスカが大変な読書家なので、文学作品の引用が頻発します。そしてそれが、物語の進行にも重要な役割を果たすし、読者に対する一種の文学案内にもなっています。まるで、日本のラノベで『文学少女』が果たしたような感じでした。

このほか、ジョン・グリーンには”The Fault in Our Stars”(邦訳『さよならを待つふたりのために』岩波書店、映画邦題『きっと星のせいじゃない』2014)という肺癌のヒロインと片足の主人公が旅をする純愛小説もあったりします。

これらのアメリカの青春小説は確かに「ライトノベル」ではないんですが、しかし、癖の強いキャラクターの配置や、プロットの立て方(ex.女の子に振り回される男の子)、語り、そういった個々の要素は、日本の(ライトノベルを含む)若年者向け小説と共通するところがいくらでも出てきます。

アメリカでライトノベル翻訳がなかなか普及出来なかったのは何故なのか。それを考える上では、こういった既存の物語文化が作り上げていた基盤みたいなものを知っておかないと、なかなか答えは出せ無いのではないかと思います。

(報告:太田)


%d人のブロガーが「いいね」をつけました。