何が現地語なのか?(東南アジアのライトノベル)

2017/12/24

ということで、10月から11月にかけては、インドネシアとマレーシアの本屋巡りをしながら「現地語のライトノベル」探しをさせていただいたわけですが、タイなどに比べるとライトノベル自体の存在感が薄いことを実感しました。マレーシアだと英語や中国語翻訳で入っているけどインドネシアではそれも薄い。マレーシア語やインドネシア語翻訳では、ほとんど無いに等しい(マレーシア語の『古典部』シリーズの翻訳のみ発見。)

ここで白状しなければならいのですが、私はインドネシアやマレーシアの言語事情を軽く考えすぎていました。マレーシアの「現地語」はマレーシア語であり、インドネシアのそれはインドネシア語である(そしてインドネシア語とマレーシア語とほとんど一緒の言語である)程度にしか考えていなかったのです。ところがマレーシアでのマルチリンガルな言語事情を目の当たりにして、何が「現地語」なのかは、よくよく考えておく必要があったと反省しました。

今回の訪問国に限らず多くのアジア・アフリカの国々に共通する話なのですが、植民地支配を受けた地域はマルチリンガルな社会であり、言語はおおよそ3層構造になっているとされます。まず、家庭内で使われている母語の層があります。アジアやアフリカはこれが結構細かく分かれていて、部族や氏族ごとに違う母語が使われている場合が多い。インドネシアでは500以上の言語が話されているといいますし、インドでは約1000の言語が今でも話されているとされます。
これに対して、地域共通語(リンガ・フランカ)というのがあって、社会生活や学校教育で用いられます。フィリピン語(フィリピーナ)もタガログ語という共通語を公用語として採用したものです。インドネシアの場合はバハサと呼ばれる共通語があって、インドネシア語と呼ばれる公用語は、このバハサを指します。

地域共通語はその国の有力地域で使われている言葉が使われることが多いのですが(フィリピンのタガログ語はその一例)、例外もあります。例えば、インドネシアで用いられる言語で母語話者が最も多いのはジャワ語であって(7500万人)、バハサ(もしくはその元となったマレー語系)を母語としている人達(1700〜3000万人)よりもはるかに多い。つまり、ジャワ島での「現地語」とはインドネシア語ではなくてジャワ語という方が正しいのかもしれません。加えていうなら、ジャワ語は古い歴史を持ち、古典文芸も書かれているという、かなり格調の高い言語だし、ジャワ語を話すジャワ人はインドネシアという国の中枢を握っているマジョリティーです。

<インドネシアの言語マップ>

この他に旧宗主国の言語があり、高等教育はこの言葉が使われることが多いし、役所の手続きなどにも使われます。マレーシアはイギリス領でしたから英語がこれに該当し、インドネシはオランダ領だったのでオランダ語がこれに該当します。

このように多くの地域では人々の言語環境は本質的にマルチリンガルです。日本のようにかなり早い時期に言語が統一され、西欧列強による植民地化を免れ、明治期のインテリが頑張って翻訳したおかげで西欧語を使わずに高等教育することが可能になっているという、モノリンガルな国の中にいると見えにくい話です。しかし、アジアを旅していれば、部族語と地域共通語を3つ以上操る人は普通に見ますし、インテリともなると日本人以上に達者な西欧語を喋っているのは普通の風景です。

このマルチリンガルな状態を「書き言葉」の観点から考えてみましょう。ライトノベルは10代のための娯楽小説なので、どうしても「読む」という行為が必要となるからです。まず、多くの部族語や氏族語は書き言葉としては未熟です。話者が少ない場合、正書法が確立していないことも多く、出版物も極めて限られるというか、無いに等しい場合がほとんどです。つまり、多くの母語は書物と無縁の言葉なのです。

地域共通語ともなると、ある程度正書法も確立されて、出版物もそこそこ出て来ますけれど、これは各国の事情に強く依存します。私が知っている東チモールはやや極端な例ですが、2002年独立のこの国では共通語(公用語)のテトゥン語の正書法が未だに定まっていません。声に出して読み上げれば誰でも理解できるのですが、綴りがまちまちなままなのです。こんな状態ですから、出版物も極めて限られたままです。つまり書き言葉としての共通語というのは、政府などが時間をかけて教育などを通じて作り出していくものであり、これは各国の事情に大きく依存するのです。

旧宗主国言語については独立後も高等教育などで残り続けるものの、やがて地域共通語が力をつけてくると、それに譲るようになります。また最近では、国際共通語としての英語が旧宗主国言語にとって代わる例も多く見受けられます。

インドネシアの場合は、独立時の理念に従い敢えてマジョリティーのジャワ語を公用語とはせずに、バハサ(共通語)を採用してその教育と普及にかなり力を入れました。とはいうものの、ジャワ語などの民族語教育も行われていますし、どんな庶民でも母語とバハサのバイリンガルです。旧宗主国のオランダ語は影を潜めたものの大学によっては英語で教育が行われているといいますから、インテリは英語を加えた3言語話者が当たり前ということになります。これに加えて、マレーシアほどではないけれども中国系国民の存在があり、中国語の書籍も本屋には結構あります。

マレーシアの場合は、マレー系(マレーシア語)が65%、中華系(北京語、福建語、広東語、、、)25%、インド系(タミル語他)8%という人種・母語構成です。マレーシアもまた多くの言語が母語として話されていたのですが、それらは消滅しつつあるるのだそうです。過半数の人はマレーシア語が母語ではあるものの、人口の1/4を占める中国語話者がいるので、母語以外にマレーシア語や中国語を話せる人はかなり多いし、そこに旧宗主国言語である英語が大きな存在感を持っていて、多くの人が英語を話すことができます。要するにマレーシアは、相当なマルチリンガルな社会です。中国語は話し言葉こそバラバラですが書き言葉は統一されていますので相当な存在感があります。この結果としてマレーシア語と英語と中国語という3つの言語が本屋の中では同等の勢力を持っていると思って良い。

<マレーシアの民族構成>

(インドネシア語(バハサ)はマレー語が元になっているのでマレーシア語とインドネシア語はほとんど同じ言語です。ただ、政治的に両者を同じ言語として扱う動きはありませんし、出版も別々に行われています。)

モノリンガルな国から来た人間として、ついついインドネシア語やマレーシア語のライトノベルを探したのですが、マルチリンガルな環境というものをもう少し考慮してから調査にあたるべきだったと猛省しています。例えば、私がジャカルタの本屋さんでみていた「インドネシア語の本」ですが、ひょっとしたらジャワ語の本もあったのかもしれません。ジャワ語の出版物はかなり限られているらしいので、その可能性は低そうなのですが、それでもそこは意識しておくべきでした。

さて、こうした言語事情を前提にして考えるべきなのは、「ライトノベル出版が成立するほどに、十分な読書集団が形成されているのか?」、そして「その読書集団はその言葉で娯楽小説を読みたいと思うほどに言語習得できているのか?」という問題です。

前述したように、多くの言葉は話者自体が多くありませんし、書き言葉としての成熟度が問題になりますが逆にいうと、その条件を満たす言葉が複数になることはあり得るのです。マレーシアの場合は、マレーシア語、中国語がこれに該当し、加えて英語教育がかなりしっかりと行われた結果、英語読者も結構多い。つまり、マレーシアの「現地語」とはマレーシア語・中国語・英語であると考えておくべきなのです。インドネシアであれば、バハサとジャワ語がこれに該当し、他にも候補になる言語(スンダ語など)はあるのかもしれません。

そして十代の読者層にとっての「母語でない言語で読む小説」とはどんなものなのか、想像力を巡らしておくことは必要になるるでしょう。一言でマルチリンガルといっても、皆が皆、全ての言語を母語並みに操れるというわけでは無いのです。ことに書き言葉は習得にそれなりの労力を要しますので、マルチリンガルだからといって誰もがスラスラと多種にわたる言語の本を読んでいるわけでも無いらしい。私の知り合いのインドネシア人には、英語での会話は達者だけれども、英語メールの返事を絶対に書いてくれないという人がいました。話し言葉を操る能力と、書き言葉を操る能力は別なのです。

ジャワ語を母語とするインドネシアの青少年にとって、バハサの娯楽小説というのは、どの程度とっつきやすいものなのか。彼らにとってバハサとは、学校で使われ、テレビで流れる「少し改まった言葉」なのであり、友達同士でふざけあったりダラダラとお喋りする言語はジャワ語なのです。そうなると、様々な手口で書き手と読者の近さ演出し、親しみやすさを信条とするライトノベルにとって、バハサは最適な言語になるのでしょうか?

あるいは、英語を喋っているマレーシア人にとって英語のライトノベルは気楽に読める娯楽小説なのでしょうか?中国語も話せるマレー系住人は中国語の軽小説を気楽に読むことができるのか?その逆にマレーシア語も話せる中国系住人にとってマレーシア語の娯楽小説は気軽に読めるものなのか?

ライトノベルの出版が成立するためには、ある程度のお金を持っている(お小遣いをもらっている)10代の読者層が一定数以上存在しなくてはならない。そのように私は思っていたのですが、それ以前に「気軽に読める言葉で小説が出版されるなどの環境が整っているのか」という問題があるのです。当たり前といえば当たり前なのですが、モノリンガルな日本からは案外に見落としやすい点なので、長々と書いてしまいました。

(報告:太田)

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マレーシアのライトノベル

2017/11/05

インドネシアのジャカルタの後は、マレーシアのクアラルンプールに向かいました。ライトノベル翻訳探しの旅は続きます。

マレーシアはインドネシアよりも人口はぐっと少ないのですが、石油や鉱物資源をうまく活用して近代国家を作り上げることに成功した国です。首都クアラルンプールは(ジャカルタに比べると)すごく洗練された都会でした。

今回も、まず目的に見定めたのがは紀伊国屋。

ジャカルタのと似たような写真が続くのもアレなので結論から書きます。日本語の本を除けば、英語、中国語、マレーシア語のマルチリンガルな本屋です。そしてこれは、他の大型書店も同じでした。状況はジャカルタと同じでした。(そして後で書くつもりですが、インドネシア語とマレーシア語はほとんど同じ言語です。)

ただ、中国語の本の比率がジャカルタで見たのよりは多い。そして、ありました!軽小説(ライトノベル)のコーナー!

そして、中華圏でおなじみの武侠小説。この分野はB級っぽかったり大河ドラマっぽかったり色々あるのですが、少しおしゃれな感じの本も並んでました。

網路小説というのはネット小説のことです。

科幻小説(SF)もあります。

これらが香港・台湾・本土からの輸入ばかりかと言うと、そうとも限らないらしい。例えば、中国語のヤングアダルト小説っぽいコーナーがあって、そこの本の出版社を見ると、マレーシアの出版社だったりします。つまり、マレーシア国内で中国語の出版をしているのです。

街歩きをしていても、中国系書店が色々と面白いのです。やってきたのはチャイナタウン。

とある店の奥を覗いてみると、まさにマンガが山積み。

日本の翻訳マンガばかりではなく、結構怪しそうな本があるではありませんか!「言情小説」というカテゴリーがあったのですが、ポルノなんでしょうか、、、

「中華圏には、もともとライトノベルっぽい小説を受け入れる素地があったのではないのか」というのが、私の仮説だったんですが、こういうセクシャル系を強く匂わせる本を見ているとますますその感を強くしてしまいます。

もう一々調べるのも面倒臭くなる物量で、ラノベっぽい本も一杯。おそらく、中国語オリジナルのものが相当並んでいるはずです。そして古本屋に行くと、アメリカンコミック風の中国マンガもあって中々に楽しかったです。

で、マレーシア語の本はどうなのか。中国語ほどではないですけれど、そこそこ健闘しています。Novel Remajaは「ティーン小説」の意味です。アレーシア語のヤングアダルト小説ということになりますが、少女小説っぽくってラノベっぽい。フィリピンと似た感じです。

マンガも、現地化していますね。

そして、、、ティーンズ向けフィクションのコーナーに目指すものはありました。

マレーシア語に翻訳されたライトノベルは米澤穂信の古典部シリーズ、『愚者のエンドロール』『クドリャフカの順番』でした。日本に帰ってきてからマレーシアの紀伊国屋のサイトで調べると『氷菓』も在庫があったらしいのですが、私が見たときにはマンガ版しか見当たりませんでした。シリーズで刊行されているのですから、そこそこ売れているということなのでしょうか。

結論として、「マレーシアにはライトノベルの中国語訳なら一杯ある。マレーシア語翻訳はまだあまりない」でした。

ところで、インドネシアとマレーシアの言語状況については考えておかなければいけない点があります。機会があれば、そのお話も書きたいと思っています。

(太田記)


インドネシアのライトノベル

2017/11/05

外国の本屋で日本のライトノベル翻訳を探すというこの連載、しばらく途絶えていました。今回、東チモール(インドネシアの東の端に位置する国)に行く機会があり、その帰りにジャカルタに立ち寄って久々にライトノベル探しに勤しみました。東チモールのライトノベル探しはやらなかったのかと聞かれそうですが、首都ディリの本屋全てを回った上で(5軒しかありませんけど)「そんなものは無い!」と断言します。あそこはそもそも書籍の絶対量が少なすぎるのと、人口が100万人なのでライトノベルの翻訳出版が行われるなんてことは当面有り得ないのです。

それはともかく、インドネシアのジャカルタは人口1000万人の大都会です。これまでの経験上、ラノベ翻訳が一番有りそうな海外の本屋である紀伊国屋に向かいました。

まず、マンガ関係から見ておくと、日本語のマンガがあり、英語翻訳のマンガとアメリカのコミックがあり、中国語翻訳のマンガがあり、インドネシア語翻訳のマンガ、インドネシア語オリジナルのマンガがあります。

日本語書籍があるのは紀伊国屋だからなのですが、マンガに限らず、書籍としては英語・中国語・インドネシア語の3言語の本が置いてあります。これは他の書店でも見られた現象で、要するにインドネシアの本屋はマルチリンガルなのです。(これはフィリピンでも、タイでも見られた現象ですね。)そして、インドネシア語よりは英語の本の方が多いようです。特に専門書の類はインドネシア語が弱いように見受けられました。

マンガの話に戻りますが、日本のマンガは英語と中国語とインドネシア語の3種類の翻訳が販売されているということになります。結構凄い状況だと言えないでしょうか?

さて、肝心のライトノベルです。紀伊国屋なので日本語のライトノベルはいっぱいあります。

英語のライトノベルを探したら”MANGA”の棚にありました、、、どうも独立ジャンルとして認めてられていない模様。

そして、インドネシア語のライトノベルを探したのですが、、、、無い!中国語のライトノベルも見当たらない!

もう一軒、別の本屋に行って見ました。こちらにはインドネシア語のマンガ(コミック)がいっぱい置いてありました。結構自前でマンガが生産されていますね。輸入マンガよりも薄くて安い感じです(値段を控えるのを失念しました!)。

中国語のオリジナル漫画(マンファ)も結構出ています。

しかし、ライトノベルは見当たりません。インドネシア語のライトノベル探し、今回は敗退のようです。

なお、紀伊国屋でも、こちらの本屋でも少女小説っぽいのがそれなりにありました。フィリピンのラノベっぽい少女小説の大群、あるいはBL花盛りのタイよりはぐっとおとなし目ですが、やはり少女小説はあるのです。

この少女小説を見ていたら、ハングルが入ってる?でもインドネシア語だし著者名からみても翻訳というわけでもなさそう。買ってきて中身を見ていると、韓国人名が出てくるので舞台が韓国なのかもしれません。

さらに表紙に「愛している」という日本語の入った本まで!これまた翻訳では無いのですが、どうも憧れの日本に行くことになった女の子の話らしい。中を見ていると”yuki-chan”(ゆきちゃん?)のような呼びかけもあります。

韓国の少女小説が中国で大流行して、「韓国っぽい」少女小説が中国で大量生産された時期があったことは知っていましたが、そのインドネシア語版もあったとは!そしてその余波なのか日本を舞台にした小説もあったとは。

一度どこかで書いた覚えがあるのですが、昭和の少女マンガにはアメリカやフランスを舞台にアメリカ人やフランス人が主人公のマンガが結構ありました。萩尾望都ですら、そういうマンガを描いていたのです。それと同じ現象が、日本や韓国を対象にしてインドネシアでも起きているのかもしれません。

(太田記)


アメリカのYA小説その後(2017)

2017/09/06

かなり前に、アメリカのヤングアダルト小説(YA)の話を書いていましたが、少し書き足しておきます。

まず、以前に紹介した”Me and Earl and the dying girl”(『僕とアールと死んでいく女の子』)
https://societyforlightnovel.wordpress.com/2016/02/17/アメリカのヤングアダルト小説1/
の日本語翻訳が8月に出版されています。

金原瑞人訳『ぼくとあいつと瀕死の彼女』ポプラ社、2019年

金原先生、やはり目をつけていらっしゃいましたか。

訳文はかなり、はっちゃけていて良い感じです。

I have no idea how to write this stupid book. (原文 p.1)
いったい、どう書けばいいんだよ。こんなくだらない話。(金原訳 p.6)

うまいなあと感心したんですが、原文と比較しながら読んでいるうちに、翻訳の恣意性というか、訳文の妥当性みたいなものについて少し考え込みました。口語に寄せすぎているようにも思えるのです。例えば、以下の訳文:

It was incredible. (原文 p.81)
すっげぇよかった。(金原訳 p.6)

原文はいかようにでも訳せるかとは思います。「信じられなかった」とか「途方もなかった」とか選択肢はかなりありますが、その中から主人公の口調として最適なものとして訳者が選んだ結果としての「すっげぇよかった」なのです。問題は、それが主人公の「語り」として妥当なのかどうかということ。

主人公は、中流のユダヤ人家庭に育っていて(作者も中流ユダヤ人)、グレている訳でもない。父親は週に一コマしか授業していないとはいえ大学教授だし、母親はNGO職員でインテリっぽい。その母親の言うことに主人公はいつも渋々ながらも従っている。黒人の崩壊家庭のアールとは付き合っているけど、悪いことには手を出さず二人で映画を撮っている。アールの家にはいくらでも転がっている、タバコにも酒にもドラッグにも手は出していない。根が真面目なんだろうなという印象です。

主人公の語りが途中で箇条書きになったりしますが、「ちゃんとした文章にするのが面倒臭いので後は箇条書きにしとくわ」のような主人公の身振りの背後に、要点をまとめてノートに取っておくのが癖になっている優等生根性みたいなものもチラチラします。つまり、この主人公は自身の語りにsucks(金原訳「サイテー」)みたいな俗語を多用していますけれど、真面目な子が少し無理して俗っぽく語っている印象が強い。というか、語りの中のそういう俗語表現のギャップみたいなものを楽しむ小説であるような気がするのです。しかし、金原訳は全体を口語表現に寄せます。例えば、以下の文章です:

In fact, high school is where we are first introduced to the basic existential question of life: How is it possible to exist in a place that sucks so bad? (原文p.5)
だって、高校ってところは人生で誰もが抱くこういう疑問に初めてぶち当たる場所だから。どうやったらこんなサイテーなところで生きていけるんだ?(金原訳)

“the basic existential question of life”が「人生で誰もが抱くこういう疑問」と訳されてます。以前、私がこの本を紹介した時にはこの翻訳本は出てませんでしたから、私は勝手にこの部分を「人生の基本的実存的問題」と訳しておきました。原文にはexistentialという少し硬めの単語が使われる一方で、その直後の太文字部分ではa place that sucks so bad(クソみたいに最悪な場所)という俗語(sucks)混じりの表現が出てきますから、そのギャップみたいなものを強調してみた訳です。金原さんの訳「the basic existential question of life/人生で誰もが抱くこういう疑問」では砕いて訳しすぎじゃないのか。そんなことを思いました。

ただ、まあ、ラノベ的な文章に慣れた日本の読者相手には丁度良いのかなとも思えます。翻訳では、誰が読むのかを考えて、そこに合わせて訳文を考えていかなければならないのですが、今の日本の標準的な若い読者層を考えた場合、こういう語りで読ませてしまうのも十分ありなのかなとも思えました。

ともあれ、英語でしか読めなかった時にはなかなか人にオススメできなかったのですが、これで気楽にオススメできます。是非どうぞ。

*****

次に、アメリカの本屋のYAの棚をぶらぶら歩いていて、「書店員のオススメ」みたいなポップを頼りに本を漁っていたらこんな本にぶち当たりました。Jerry Spinelli “Stargirl” Ember

2000年の作品なので決して新しい小説ではありませんが、書店員がオススメするということは、流行り廃れが激しいYAの中での古典的なポジションの作品なのかもしれません。よくよく調べると、日本語の翻訳も出てました(『スターガール』2002年、理論社)。面白かったので、英語で読み切っています。

読み始めてすぐに「これはMPDG(マニック・ピクシー・ドリーム・ガール)じゃないか!」と驚きました。MPDGについては https://societyforlightnovel.wordpress.com/2016/03/08/アメリカのヤングアダルト小説(5)/ でも紹介しましたが、日本語で雑に訳すと「躁的不思議ちゃん」。一言で言えばエキセントリックで突拍子も無いことを言ったり実際にやっている女の子に、平凡な男の子が振り回される話です。実際、慌てて検索してみたら、これはMPDGの元祖的な作品だとしている人もいました。

Stargirlではヒロインは奇妙奇天烈な衣装で学校に現れて(アルプスの少女ハイジっぽかったり、キモノだったり、西部開拓時代の格好だったりします)、背中にはウクレレを背負っていて、昼休みの食堂ではその日の誕生日の生徒のために「ハッピバースデー、トゥーユー」を歌い、数学の授業では突然、自作の「二等辺三角形の歌」を歌ったりします。当然生徒たちはドン引きなのですが、彼女は全く意に介していない(ように見えます)。学校中が彼女の存在をいぶかしむ描写が続く中で、以下のような文章が出てきます(太田訳):

雲ひとつない学校の上空にたった一言が浮かんでる感じだ。

          はあ?

以前MPDGを紹介した際に、涼宮ハルヒの翻訳ノベルがアメリカで例外的に売れたのは、もともとああいうキャラクターはMPDGとしてアメリカのYA市場では普通に受け入れられていたからということを書いた私としては、ちょっと見逃せません。そう言えば、ハルヒの翻訳本の表紙はこの本の表紙に雰囲気がかなり似ていませんでしょうか?おそらく出版社も似たような読者層を狙ったものと思われます。考えてみるとハルヒの出版は2003年なので書かれた時期もかなり近いのです。

もっとも似ているのはヒロインがぶっ飛んでいて、周りとズレているというところだけで、話の内容は『ハルヒ』とはかなり違います。
ハルヒはサブカル系の事柄(タイムトラベル、宇宙人、超能力者etc)に固執しますが、スターガールが固執するのは「親切」とか「思いやり」。そして、ハルヒが一般の生徒からは変人扱いされて放っておかれているのとは対照的に、スターガールは学校中からネグレクションを受けます。同調圧力と、それに従わない者を村八分にする学校社会問題みたいなものが扱われることになるわけです。そしてハルヒの内面があまり描かれない(『涼宮ハルヒの憂鬱』でヒロインの内面吐露が一箇所だけ出てきて、その後は一切内面描写されなくなる)のに対して、スターガールの内面はかなり突っ込んで描かれます。ということで、日本のライトノベルからは少し離れた、正統的なYA小説ではあります。
ところで、この小説の語り手の男の子というのがかなり情けない。スターガールが一時的に学校の人気者になって、そこから村八分に転落する直前のタイミングで彼はスターガールと恋仲になるのですが、そのために彼も一緒にネグレクションを受ける羽目になります。最初は二人でなんとか事態を打開しようと頑張るのですが、彼はやがて諦めてしまい、そこから先はスターガールが一人で自分を貫いていく姿を傍観していくだけ。スターガールはおそらく少女小説なので、語り手の男の子は視点として利用されているだけなのだろうとは思いますが、それにしても情けない!
こうしてみると『ハルヒ』の語り手(キョン)というのは、傍観者の立場を保持しながらも、語りが相当に個性的だったし捻くれていて、そこがあのテキストの読ませどころだったんだろうなと再認識できました。

(太田記)


ラノベ史探訪(番外編)-続・「富士見美少女文庫」の名称はどこから来たのか?

2017/03/20

本ブログでは久々の更新となる連載「ラノベ史探訪」。WEBでは第20回まで更新を続けてきたこの連載ですが、現在は2015年10月に創刊した『ライトノベル・フロントライン』(青弓社)に掲載の場を移しておりますので、よろしければぜひそちらもご覧頂けましたら幸いです。

<参考:『ライトノベル・フロントライン』掲載版「ラノベ史探訪」>

第1回『アルスラーン戦記』でたどる「ファンタジーフェア」の軌跡
第2回 専門レーベルの誕生―「角川文庫・青帯」から「スニーカー文庫」へ
第3回 続・専門レーベルの誕生―角川ルビー文庫に引き継がれた〈ピンク帯〉

さて、今回は「番外編」と題しまして、以前にも取り上げた「富士見美少女文庫」に関する追加調査の結果を、簡単ですがご報告出来ればと思います。

<参考:過去の連載分>
ラノベ史探訪(18)-「富士見美少女文庫」の名称はどこから来たのか?
稲葉真弓氏について

ピンとこない方のために解説しますと、「富士見美少女文庫」はかつて富士見書房が刊行していた文庫レーベルで、正式名称は「富士見文庫」。刊行期間は1986~93年の7年間で、作品数は全30タイトルと決して多くありません。また、現在は絶版になっていますので、若い世代ほど目にする機会は少ないと思われます。

この文庫レーベル、一部では大変よく知られているんですね。その理由としてはまず、1980年代に一世を風靡した美少女アニメ『くりいむレモン』シリーズのノベライズを多数刊行していたことが挙げられるでしょう。また、それらの作品の執筆者であった倉田悠子氏が、実は2014年に紫綬褒章を受賞した作家・稲葉真弓氏であったことも、近年になって注目を集めるきっかけになったかと思います。

刊行作品(全30タイトル)

なお、この文庫レーベルの詳細は拙稿「〈富士見文庫〉検証―ライトノベルとジュブナイルポルノの〝源流〟をめぐって―」(『コンテンツ文化史研究』次号に掲載)にまとめておりますので、コンテンツ文化史学会の学会誌の刊行後にご参照頂ければと。そういえばこの件、昨年末にもTwitterで告知したんですが……もう刊行されるはずなんですけどね(汗) 詳細が分かりましたら再度告知します、はい。

さて、この文庫レーベルについて私は以前、次のように書いていました。

《2013/01/14 追記》
「富士見美少女文庫」の名称を誰が命名したのか?については、現在も使用された当時の資料が未発見のため、版元によるものであったか否かは断定出来ない状態です。また別の可能性として、版元による「美少女文庫」という名称の使用を受けた読者側による命名であったことも考えられるかと思います。
(ラノベ史探訪(18)-「富士見美少女文庫」の名称はどこから来たのか?)

この記述から早4年―。「富士見美少女文庫」の名称がどこから来たのか?については、私の力不足もあり、ずっとその答えがはっきりとしないままでした。

ところが最近になって、この長年の疑問を解消する重要な手掛かりを入手することに成功。それが以下の写真の資料になります。

倉田悠子『レモンエンジェル えりかのバイバイ・ララバイ』1988.07.
倉田悠子『レモンエンジェル 美希のラブ・ラビリンス』1988.09.
倉田悠子『ジュラハンター・ケネス キ・キララの妖女』1989.01.

入手先は「まんだらけ」の通信販売でした。これまで「美少女文庫」と記載された帯は何点か確認されているのですが、通信販売のページに掲載されていた商品写真を見る限り、上掲の帯は未見でしたので早速注文&入手。すると帯の背表紙側に「富士見美少女文庫」の文字がはっきりと記載されているではありませんか。いやはや、目にした時は本当に手が震えましたね。

今回入手したこの資料から、版元である富士見書房が「富士見美少女文庫」の名称を使用していたことが確認出来ました。この名称が刊行当時、作家、読者、編集者の間でどの程度流通していたのかは今後の調査課題ですが、少なくとも版元が名称を提示していたことは間違いないことになります。現時点の私見ですが、正式名称は「富士見文庫」のままであった以上、「富士見美少女文庫」はあくまでPR目的の通称であった可能性が高いのかなぁと。

上記の点については引き続き調査を行い、またご報告出来ることが増えましたら、あらためてお知らせ致します。今後とも連載「ラノベ史探訪」をどうぞよろしくお願い致します。

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【文責:山中】


フランス語ライトノベル翻訳のその後(2016)

2016/09/18

ここのところ、ライトノベルの英語翻訳からアメリカのヤングアダルト小説の話ばかりしていて他言語の話は放ってありました。先日、何気なく紀伊国屋のフランス語書籍の棚の横を歩いていたら、ライトノベルを見つけてしまいました!『狼と香辛料』『ソードアートオンライン』『ダンジョンで出会いを求めるのは間違っているだろうか?』『ログ・ホライゾン』が並んでいます。

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そういえば、フランス語訳の有無を調べてから4年以上が経過しました。あのときは、かなり悲惨な翻訳状況だったのですが、さすがに状況が進んでようです。調べてみると、OFELBEというライトノベル専門レーベルが立ち上がっているではありませんか。現在、発刊も含めれば、

  • DANMACHI   -La Légende des familias  (ダンジョンで出会いを求めるのは間違っているだろうか)
  • Durarara!! (デュラララ‼︎)
  • Log Horizon (ログ・ホライゾン)
  • Spice & Wolf (狼と香辛料)
  • Sword Art Online  (ソードアート・オンライン)
  • The Irregular at Magic High School  (魔法科高校の劣等生)

の6シリーズが扱われています。フランス語訳なのに英語のタイトルだらけなのは少し不思議に感じられるかもしれませんが、フランスのオタク達の主流は、まず英語で情報を得ているということの反映なのかもしれません。(一部には、日本語を直接読んでいるオタクもいますけど、、)DANMACHIというタイトルが笑えますけれど、これも英語のオタクの世界でDANMACHIという略称が広がっていたからだと思われます。また、母国語優遇政策をとってきたフランスでも、最近は英語のタイトルをそのままにしてフランス語訳するケースが結構ありますから、無理してタイトルをフランス語に訳すことも無いのでしょう。

(実は、イタリアでもライトノベルの専門レーベルが立ち上がっているのですが、そのあたりの報告はローマで『僕は友達が少ない』のイタリア語訳をゲットしてきた大橋さんの投稿を待ちたいと思います。)

さて、ライトノベルの英語翻訳について調べていく中で突き当たった「ヤングアダルト小説という壁」については、今までの連載の中で何回か触れてきました。ごく大雑把にまとめれば、「アメリカのヤングアダルト小説の中には、ライトノベルっぽい小説は既にあったので、アメリカの読者にとってライトノベルはさほど目新しいものには映らなかったのではないか。特に、初期の拙い翻訳文では既存のヤングアダルト小説に対抗できなかったのではないだろうか」というものです。ライトノベルにしてもヤングアダルトにしても、消費文化の行き着く先は似たようなことになるのではないか、というのが私の抱いた感想でした。

で、この推測はフランス語の世界でも成立するんだろうか?というのが、私が以前から抱いていた疑念でもあります。フランスにしても消費文化の伝統はアメリカや日本などよりも長く、爛熟したというか腐った文化を培ってきたわけですから。ロマン・アドレサン(Roman Adolescents)という10代の若者向け小説市場というのも成立しています。このあたりは、言語能力の壁があって中々調べられないでいるのですが、ネットで引っかかった面白そうな事例を紹介しておきます。

 

“Un Amour de Geek”(オタクの恋)41eogjsnc6l-_sx349_bo1204203200_

もう、そのまんまのタイトルですけど、Amazonに載っていたあらすじも、タイトルそのまんまです。

「トーマスはオタクだ。彼はこれまで、実生活にうごめく不愉快なことを避け続けてきた: 退屈な学校ではフランス語の先生がうんたらかんたら。彼が抱えた問題は、彼が恋に落ちたエステルである。 彼女は馬の背に飛び乗り、森の中の光を愛し、旅することを夢見ている。コンピューターが大嫌いなエステルは、彼がスクリーンにもう近寄らないと誓わなければ彼とはデートしないという。」(一部翻訳できなかったので誤魔化しました。)

中身の文章は読んでいませんが、「自分の世界に引きこもっている男の子が活動的な女の子に引っ張り回される」というテーマは実にラノベっぽい。

“Blind Spot”(ブラインド・スポット)

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日本趣味の本だけを出す独立系出版社らしいのですが、このシリーズは舞台が東京で日本人の女子高生Ayakoが目の障害を乗り越えて声優を目指すというお話。マンガに見えるかもしれませんが、小説です。これを見ながら、フィリピンで見た「ラノベっぽい少女小説」を思い出してしまいました。この本をフィリピンの書店の少女小説の棚に並べて置いておいても、なんの違和感もなさそうです。

日本が舞台で日本人が主人公の小説がフランスで書かかれているというのは、不思議な感じがするかもしれません。でも、まあ、日本の少女マンガだって、70年代頃まではアメリカやフランスを舞台にして、アメリカ人やフランス人を主人公にした作品が量産されていた訳です。(そんな時代は知らないという人は、ぜひ萩尾望都全集を参照ください。できれば忠津陽子あたりの、笑ってしまうぐらいチープなアメリカ学園ドラマも読んでいただきたいと思いますが、入手は困難かもしれません。)文化的な思い入れが激しくなると、こうした現象も多々起こるということなのでしょう。ご存知のようにフランスにおける日本趣味は長く続いており、マンガの世界では10年ほど前にやはり日本が舞台で日本人が主人公(女子高生のKiyoko)の”Pink Diarly“(ピンク・ダイアリー)という作品が現れています。

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この2作の事例を見ながら考えるのは、文芸の模倣は案外に簡単だということです。面白いと思った文芸を模倣して、自国の中に取り込んでしまう貪欲な力とでもいうのか。考えてみれば、アメリカのコミック文化を取り込んで成立したのが日本のマンガなのであれば、それが更に他国に取り込まれて咀嚼されてもなんの不思議もない訳です。フランス人が日本のアニメやマンガで馴染んだテーマやプロットを、そのまま小説で書くことも起こるでしょう。前掲の『ブラインド・スポット』なんていうのは、そういう例だと思います。そして、そのうちにフランス流に咀嚼された小説が書かれても不思議はないし、もうすでに書かれているかもしれない。そのとき、すでにある(前掲の『おたくの恋』のような)ロマン・アドレッサン小説とどれほどの違いが見られるのかというのは興味深い論点だと考えています。

(報告者:太田)


ライトノベルのようなアリス

2016/08/31

前回の報告で、ライトノベルから撤退したと思われていたSevenSeas社が『不思議の国のアリス』や『オズの魔法使い』をライトノベルの形式で出していたという話を書きましたが、先日何の気なしに調べてみたら、この話は昨年にネットに上がっていたし日本のアマゾンでも扱っていました。わざわざアメリカで見つける必要もなかったということで、報告者の不勉強を晒したということになります。だからという訳でもないんですが、実物を手にとって、もうちょっと詳しく紹介しておくことにしました。

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表紙はアニメ・マンガ風で、女の子の全身像。

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カラーの口絵が12ページ。

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本文の中に挿入されるマンガ風イラストもある。ということで、完全にライトノベルのフォーマットになっているんですが、ここであげたイラストは、オリジナルの『アリス』のイラストに対応していますね。『アリス』の挿絵で有名なのは初版のジョン・テニエルのもので、チェシャ猫だとかのキャラクターを決定づけた画家として有名です。テニエルの絵を収録している『アリス』を引っ張り出してきたのが、以下の写真ですが、同じ場面を絵にしているのが分かるかと思います。なお、英文はみた限り、オリジナルのまんまで、書き換えは無いようです。

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有名な、マッド・ティー・パティーの場面も対応していますけど、帽子屋がずいぶん若くてイケメンです。2010年の実写映画で帽子屋をやったジョニー・ディップが少し入ったんじゃないか、、、

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こんなふうにイラストの多くは、オリジナルの挿絵をマンガ風に書き直しているという印象を持ちました。もちろん、オリジナルにないイラストもあります。次の、穴に落ちて行くシーンはその一つですが、この構図は見覚えありませんか?私はどうしても思い出せないのですが、これが参照している(というかパクっている)絵が分かる方がいればお知らせください。

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さて、こういうイラストは誰が描いているんでしょう。イラストレーターの名前は裏表紙に書いてあったので、その”Kris Sisson”で検索してみたところ、フィリピンの男性(顔写真を見ると、結構おっさん臭いです)で、米国・フィリピン・シンガポールなどで活躍している人と知りました。

http://www.gunshiprevolution.com

http://isangkutsarangmoe.deviantart.com

http://www.pixiv.net/member.php?id=2858681

グローバルかつ、マイノリティからのリソース調達ということになります。米国における「日本風コンテンツ」の今後を考える上で、示唆的な事例のように思えました。

(報告者:太田)


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