【告知】コンテンツ文化史学会2018年第1回例会:ビブリオトーク×書評セッション「コンテンツ研究を書籍にする」(7/21@東京女子大学)

2018/07/14

コンテンツ文化史学会では、昨年度から「コンテンツ文化史研究の未来」をめぐって研究会を重ねてきました。今回の例会では、コンテンツ文化の研究に関して著作を執筆された三名によるビブリオトーク(書籍紹介)と、若手研究者のお二人(最近、書籍を公刊)による書評を行います。その後に、「コンテンツ研究を書籍化するにあたって」というトークセッションを開催し、コンテンツ研究と書籍の未来について考える会にしたいと思います。関連研究に従事している方や、それらを志している学生のみなさん、そして出版執筆関係者など、多方面からの参加をお待ちしております。

※ライトノベル研究会からは嵯峨景子氏、山中智省氏が参加致します。

日時:7月21日(土) 15:00~17:30
場所:東京女子大学 9号館9104教室
費用:例会は無料、懇親会は実費(学生・院生・非常勤職の方は負担軽減)

参加登録はコチラ

内容

1.登壇者の著作についてのビブリオトーク×書評
2.トークセッション「コンテンツ研究を書籍化するにあたって」

登壇者

岡本健(奈良県立大学)
玉井建也(東北芸術工科大学)
山中智省(目白大学)
評者:嵯峨景子(明治学院大学)田島悠来(帝京大学)
司会:堀内淳一(皇學館大学)

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岡本 健

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ライトノベル史入門  『ドラゴンマガジン』創刊物語―狼煙を上げた先駆者たち ライトノベル史入門  『ドラゴンマガジン』創刊物語―狼煙を上げた先駆者たち
山中智省 あらいずみるい

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【文責:山中】

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【新刊告知】山中智省(著)あらいずみるい(イラスト)『ライトノベル史入門 『ドラゴンマガジン』創刊物語―狼煙を上げた先駆者たち』勉誠出版

2018/01/20

本日1月20日に発売された『ドラゴンマガジン』(富士見書房)2018年3月号が今、俄かに注目を集めています。

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この要因としてはやはり、歴史にその名を刻むライトノベルの〝金字塔〟、神坂一(著)あらいずみるい(イラスト)『スレイヤーズ』シリーズの本編が久しぶりに再開されたことが大きいでしょう。単行本第15巻『デモン・スレイヤーズ!』(富士見ファンタジア文庫、2000年5月)以降、本編の続編を待ち望んでいたファンにとっては大変喜ばしいニュースでしたし、『ドラゴンマガジン』発売日当日の朝、真っ先に書店へ向かったという方、購入後はいの一番に読んだという方も、決して少なくないはずです。それほどまでに『スレイヤーズ』シリーズの本編再開は、多くの人々が注目するビックニュースだったわけですね。

<関連ニュース>

小説「スレイヤーズ」本編が再始動 2000年刊行の最終巻から続編
(KAI-YOU.net)

「スレイヤーズ」新作制作決定、なんとデモン・スレイヤーズ!終了後が舞台の続編に( Livedoor NEWS)

そして、いま一つ忘れてはならないのは、この2018年3月号をもって『ドラゴンマガジン』そのものが、創刊30周年を迎えたということです。1988年1月の創刊以来、数々の作家・作品を輩出しながら業界をリードしつつ、いわゆるライトノベル雑誌の草分け的存在と見なされてきた『ドラゴンマガジン』――。本号はまさに、その記念号として刊行されることとなりました。

さらに、付録「ドラゴンマガジン30thクロニクル」(『スレイヤーズ』新作もこちらに先行掲載)では、『ドラゴンマガジン』の創刊から現在に至るまでの歴史を年表形式で紹介しており、これまでの軌跡が辿れるようになっています。ですから、たとえ若い読者の方々であっても、『ドラゴンマガジン』とはいかなる雑誌で、どのような歴史を歩んできたのかを、あらためて知ることができる機会が生まれているわけですね。

<関連ニュース>

「ドラゴンマガジン」30周年記念号が1月20日発売! 皆さまに感謝の気持ちを込めて、スペシャルな目玉企画盛りだくさんでお届け致します!(PRTIMES)

ファンタジア文庫&ドラゴンマガジン30周年サイト(富士見書房)

ちなみにAKIHABARAゲーマーズ本店では現在、『ドラゴンマガジン』や富士見ファンタジア文庫の歴史に関する展示を実施中とのことです。私はまだ未見なのですが、おそらく、ある人は懐かしさとともに、またある人は、その歴史の長さと功績の大きさに対する驚きとともに、展示をご覧になっているのではないでしょうか。

さて、こうした状況のなか、『ドラゴンマガジン』創刊当時を中心に同誌やライトノベルの歴史に迫る研究書、山中智省(著)あらいずみるい(イラスト)『ライトノベル史入門 『ドラゴンマガジン』創刊物語―狼煙を上げた先駆者たち』(勉誠出版)が間もなく刊行されます。

今回の『ドラゴンマガジン』をめぐる様々な盛り上がりのなかで、同誌の歴史にあらためて興味を持ったという方、あるいは、同時代を経験したかつての読者だったという方には、ぜひ先の「ドラゴンマガジン30thクロニクル」と合わせて本書をお読み頂けましたら幸いです。刊行前のため詳細はまだ伏せますが、きっと本書を通じて、これまで知らなかった『ドラゴンマガジン』の一面を再発見できるのではないかと思いますので。

そして、本書には『ドラゴンマガジン』創刊に携わった方々の長文インタビューが複数収録されており、創刊の経緯はもちろん、当時の興味深い裏話も多数含まれています。著者である私も思わず「え!?」と驚かずにはいられなかった、あんなことやこんなことが、当事者の方々から語られているのも見所の一つです(笑)

【これが気になる!!という方にもお薦め】

・そもそも、なぜ『ドラゴンマガジン』は創刊に至ったのか?
・創刊号の表紙はなぜ、コスプレをしたアイドル(浅香唯)だったのか?
・『ドラゴンマガジン』に込められた編集者、作家、読者の想いとは何か?
・『ドラゴンマガジン』に作家が作品を掲載する際、何を意識していたのか? etc.

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1980年代後半~90年代前半を中心に、現在「ライトノベル」と呼ばれている若年層向けエンターテインメント小説が誕生していく過程を、ライトノベル史に名を残す雑誌『ドラゴンマガジン』とその周辺状況に着目しつつ、著者が収集した多数の資料と同時代を経験した人物のインタビューから描き出す。(出版社HPより)

*試し読みはコチラ

【目次】

はじめに 

第1章 『ドラゴンマガジン』創刊前後の状況
Ⅰ 〈ライトノベル雑誌〉への注目
Ⅱ 創刊から躍進までの軌跡
Ⅲ 雑誌・文庫レーベル・新人賞の関係性
Ⅳ 創刊号にみるビジュアル重視の姿勢

第2章 創刊を手がけた編集者たち
Ⅰ 『ドラゴンマガジン』創刊責任者インタビュー 小川洋
Ⅱ 表紙・グラビア・取材記事担当インタビュー 竹中清
コラム① 誌上に現れた二つのメディアミックス

第3章 創刊号の誌面を飾った作家たち
Ⅰ 小説家インタビュー 竹河聖
Ⅱ イラストレーターインタビュー あらいずみるい
Ⅲ マンガ家インタビュー 見田竜介
コラム② 作家の共演が生み出した「イマジネーションの世界」

第4章 『ドラゴンマガジン』が育んできたもの
Ⅰ 読者投稿ページ「ガメル連邦」担当インタビュー 加藤一
Ⅱ 小説家インタビュー 新城カズマ
Ⅲ 小説家インタビュー 伊藤ヒロ
コラム③ 読者・作家・編集者が交差する場

第5章 〝ビジュアル・エンターテインメント〟の誕生と展開
Ⅰ 「メディアミックス世代」と呼ばれた読者たち
Ⅱ ビジュアル重視の小説雑誌と読者―『獅子王』『ドラゴンマガジン』を例に
Ⅲ 『ドラゴンマガジン』が生んだ〝ビジュアル・エンターテインメント〟

おわりに―そして「ライトノベル」へ

あとがき
参考文献一覧
過去の作品を知りたい・読みたい・入手したい人のための資料探索ガイド
『ドラゴンマガジン』基本情報一覧(1988~1995年)

すでに見本出来とのことですので、早ければ来週あたりから順次、書店に並び始めるかと思われます。こちらにつきましては判明次第、あらためて告知致します。

それでは、どうぞよろしくお願い致します!!

【文責:山中】


何が現地語なのか?(東南アジアのライトノベル)

2017/12/24

ということで、10月から11月にかけては、インドネシアとマレーシアの本屋巡りをしながら「現地語のライトノベル」探しをさせていただいたわけですが、タイなどに比べるとライトノベル自体の存在感が薄いことを実感しました。マレーシアだと英語や中国語翻訳で入っているけどインドネシアではそれも薄い。マレーシア語やインドネシア語翻訳では、ほとんど無いに等しい(マレーシア語の『古典部』シリーズの翻訳のみ発見。)

ここで白状しなければならいのですが、私はインドネシアやマレーシアの言語事情を軽く考えすぎていました。マレーシアの「現地語」はマレーシア語であり、インドネシアのそれはインドネシア語である(そしてインドネシア語とマレーシア語とほとんど一緒の言語である)程度にしか考えていなかったのです。ところがマレーシアでのマルチリンガルな言語事情を目の当たりにして、何が「現地語」なのかは、よくよく考えておく必要があったと反省しました。

今回の訪問国に限らず多くのアジア・アフリカの国々に共通する話なのですが、植民地支配を受けた地域はマルチリンガルな社会であり、言語はおおよそ3層構造になっているとされます。まず、家庭内で使われている母語の層があります。アジアやアフリカはこれが結構細かく分かれていて、部族や氏族ごとに違う母語が使われている場合が多い。インドネシアでは500以上の言語が話されているといいますし、インドでは約1000の言語が今でも話されているとされます。
これに対して、地域共通語(リンガ・フランカ)というのがあって、社会生活や学校教育で用いられます。フィリピン語(フィリピーナ)もタガログ語という共通語を公用語として採用したものです。インドネシアの場合はバハサと呼ばれる共通語があって、インドネシア語と呼ばれる公用語は、このバハサを指します。

地域共通語はその国の有力地域で使われている言葉が使われることが多いのですが(フィリピンのタガログ語はその一例)、例外もあります。例えば、インドネシアで用いられる言語で母語話者が最も多いのはジャワ語であって(7500万人)、バハサ(もしくはその元となったマレー語系)を母語としている人達(1700〜3000万人)よりもはるかに多い。つまり、ジャワ島での「現地語」とはインドネシア語ではなくてジャワ語という方が正しいのかもしれません。加えていうなら、ジャワ語は古い歴史を持ち、古典文芸も書かれているという、かなり格調の高い言語だし、ジャワ語を話すジャワ人はインドネシアという国の中枢を握っているマジョリティーです。

<インドネシアの言語マップ>

この他に旧宗主国の言語があり、高等教育はこの言葉が使われることが多いし、役所の手続きなどにも使われます。マレーシアはイギリス領でしたから英語がこれに該当し、インドネシはオランダ領だったのでオランダ語がこれに該当します。

このように多くの地域では人々の言語環境は本質的にマルチリンガルです。日本のようにかなり早い時期に言語が統一され、西欧列強による植民地化を免れ、明治期のインテリが頑張って翻訳したおかげで西欧語を使わずに高等教育することが可能になっているという、モノリンガルな国の中にいると見えにくい話です。しかし、アジアを旅していれば、部族語と地域共通語を3つ以上操る人は普通に見ますし、インテリともなると日本人以上に達者な西欧語を喋っているのは普通の風景です。

このマルチリンガルな状態を「書き言葉」の観点から考えてみましょう。ライトノベルは10代のための娯楽小説なので、どうしても「読む」という行為が必要となるからです。まず、多くの部族語や氏族語は書き言葉としては未熟です。話者が少ない場合、正書法が確立していないことも多く、出版物も極めて限られるというか、無いに等しい場合がほとんどです。つまり、多くの母語は書物と無縁の言葉なのです。

地域共通語ともなると、ある程度正書法も確立されて、出版物もそこそこ出て来ますけれど、これは各国の事情に強く依存します。私が知っている東チモールはやや極端な例ですが、2002年独立のこの国では共通語(公用語)のテトゥン語の正書法が未だに定まっていません。声に出して読み上げれば誰でも理解できるのですが、綴りがまちまちなままなのです。こんな状態ですから、出版物も極めて限られたままです。つまり書き言葉としての共通語というのは、政府などが時間をかけて教育などを通じて作り出していくものであり、これは各国の事情に大きく依存するのです。

旧宗主国言語については独立後も高等教育などで残り続けるものの、やがて地域共通語が力をつけてくると、それに譲るようになります。また最近では、国際共通語としての英語が旧宗主国言語にとって代わる例も多く見受けられます。

インドネシアの場合は、独立時の理念に従い敢えてマジョリティーのジャワ語を公用語とはせずに、バハサ(共通語)を採用してその教育と普及にかなり力を入れました。とはいうものの、ジャワ語などの民族語教育も行われていますし、どんな庶民でも母語とバハサのバイリンガルです。旧宗主国のオランダ語は影を潜めたものの大学によっては英語で教育が行われているといいますから、インテリは英語を加えた3言語話者が当たり前ということになります。これに加えて、マレーシアほどではないけれども中国系国民の存在があり、中国語の書籍も本屋には結構あります。

マレーシアの場合は、マレー系(マレーシア語)が65%、中華系(北京語、福建語、広東語、、、)25%、インド系(タミル語他)8%という人種・母語構成です。マレーシアもまた多くの言語が母語として話されていたのですが、それらは消滅しつつあるるのだそうです。過半数の人はマレーシア語が母語ではあるものの、人口の1/4を占める中国語話者がいるので、母語以外にマレーシア語や中国語を話せる人はかなり多いし、そこに旧宗主国言語である英語が大きな存在感を持っていて、多くの人が英語を話すことができます。要するにマレーシアは、相当なマルチリンガルな社会です。中国語は話し言葉こそバラバラですが書き言葉は統一されていますので相当な存在感があります。この結果としてマレーシア語と英語と中国語という3つの言語が本屋の中では同等の勢力を持っていると思って良い。

<マレーシアの民族構成>

(インドネシア語(バハサ)はマレー語が元になっているのでマレーシア語とインドネシア語はほとんど同じ言語です。ただ、政治的に両者を同じ言語として扱う動きはありませんし、出版も別々に行われています。)

モノリンガルな国から来た人間として、ついついインドネシア語やマレーシア語のライトノベルを探したのですが、マルチリンガルな環境というものをもう少し考慮してから調査にあたるべきだったと猛省しています。例えば、私がジャカルタの本屋さんでみていた「インドネシア語の本」ですが、ひょっとしたらジャワ語の本もあったのかもしれません。ジャワ語の出版物はかなり限られているらしいので、その可能性は低そうなのですが、それでもそこは意識しておくべきでした。

さて、こうした言語事情を前提にして考えるべきなのは、「ライトノベル出版が成立するほどに、十分な読書集団が形成されているのか?」、そして「その読書集団はその言葉で娯楽小説を読みたいと思うほどに言語習得できているのか?」という問題です。

前述したように、多くの言葉は話者自体が多くありませんし、書き言葉としての成熟度が問題になりますが逆にいうと、その条件を満たす言葉が複数になることはあり得るのです。マレーシアの場合は、マレーシア語、中国語がこれに該当し、加えて英語教育がかなりしっかりと行われた結果、英語読者も結構多い。つまり、マレーシアの「現地語」とはマレーシア語・中国語・英語であると考えておくべきなのです。インドネシアであれば、バハサとジャワ語がこれに該当し、他にも候補になる言語(スンダ語など)はあるのかもしれません。

そして十代の読者層にとっての「母語でない言語で読む小説」とはどんなものなのか、想像力を巡らしておくことは必要になるるでしょう。一言でマルチリンガルといっても、皆が皆、全ての言語を母語並みに操れるというわけでは無いのです。ことに書き言葉は習得にそれなりの労力を要しますので、マルチリンガルだからといって誰もがスラスラと多種にわたる言語の本を読んでいるわけでも無いらしい。私の知り合いのインドネシア人には、英語での会話は達者だけれども、英語メールの返事を絶対に書いてくれないという人がいました。話し言葉を操る能力と、書き言葉を操る能力は別なのです。

ジャワ語を母語とするインドネシアの青少年にとって、バハサの娯楽小説というのは、どの程度とっつきやすいものなのか。彼らにとってバハサとは、学校で使われ、テレビで流れる「少し改まった言葉」なのであり、友達同士でふざけあったりダラダラとお喋りする言語はジャワ語なのです。そうなると、様々な手口で書き手と読者の近さ演出し、親しみやすさを信条とするライトノベルにとって、バハサは最適な言語になるのでしょうか?

あるいは、英語を喋っているマレーシア人にとって英語のライトノベルは気楽に読める娯楽小説なのでしょうか?中国語も話せるマレー系住人は中国語の軽小説を気楽に読むことができるのか?その逆にマレーシア語も話せる中国系住人にとってマレーシア語の娯楽小説は気軽に読めるものなのか?

ライトノベルの出版が成立するためには、ある程度のお金を持っている(お小遣いをもらっている)10代の読者層が一定数以上存在しなくてはならない。そのように私は思っていたのですが、それ以前に「気軽に読める言葉で小説が出版されるなどの環境が整っているのか」という問題があるのです。当たり前といえば当たり前なのですが、モノリンガルな日本からは案外に見落としやすい点なので、長々と書いてしまいました。

(報告:太田)


【新刊告知】山中智省『ライトノベル史入門 『ドラゴンマガジン』創刊物語ー狼煙を上げた先駆者たち』勉誠出版(2018年1月刊行予定)

2017/12/06

私事で大変恐縮ではございますが、このたび勉誠出版より、単著『ライトノベル史入門 『ドラゴンマガジン』創刊物語ー狼煙を上げた先駆者たち』を刊行する運びとなりました。本日(12/5)情報が出ましたため、こちらのブログでも告知をさせて頂きます。

これまで私はライトノベル研究会をはじめ、日本近代文学会や日本出版学会などで研究発表の機会を頂き、創刊当時の『ドラゴンマガジン』(富士見書房)に関する報告を複数回行ってきました。ご存知の方はおそらく「ああ『ドラマガ』発表の人か~」とお思いかもしれませんが(笑)そして今回の単著はそれら報告の集大成でもあり、今後の研究に繋げていくための足掛かりでもあります。

[参考]ラノベ史探訪(4)―ラノベ専門誌の始まりを見てみよう【「ドラゴンマガジン」編】

今回の単著では、およそ5年ほどかけてコツコツ収集してきた多数の資料に加え、『ドラゴンマガジン』の創刊に関わった編集者、そして同誌の作家や読者の方々のご協力で実現したインタビューをもとに、『ドラゴンマガジン』創刊の経緯や周辺の同時代状況、そして現在の「ライトノベル」が誕生していく過程に迫っていきます。現時点での刊行予定は2018年1月となっており、皆様のお手元に届くまで今しばらく時間が掛かるかと思われますが、刊行の際はぜひお手に取って頂けましたら幸いに存じます。どうぞよろしくお願い致します。

≪目次≫

はじめに

第1章 『ドラゴンマガジン』創刊前後の状況
Ⅰ 〈ライトノベル雑誌〉への注目
Ⅱ 創刊から躍進までの軌跡
Ⅲ 雑誌・文庫レーベル・新人賞の関係性
Ⅳ 創刊号にみるビジュアル重視の姿勢

第2章 創刊を手がけた編集者たち
Ⅰ 『ドラゴンマガジン』創刊責任者インタビュー 小川洋
Ⅱ 表紙・グラビア・取材記事担当インタビュー 竹中清
コラム① 誌上に現れた二つのメディアミックス

第3章 創刊号の誌面を飾った作家たち
Ⅰ 小説家インタビュー 竹河聖
Ⅱ イラストレーターインタビュー あらいずみるい
Ⅲ マンガ家インタビュー 見田竜介
コラム② 作家の共演が生み出した「イマジネーションの世界」

第4章 『ドラゴンマガジン』が育んできたもの
Ⅰ  読者投稿ページ「ガメル連邦」担当インタビュー 加藤一
Ⅱ 小説家インタビュー 新城カズマ
Ⅲ 小説家インタビュー 伊藤ヒロ
コラム③ 読者・作家・編集者が交差する場

第5章 〝ビジュアル・エンターテインメント〟の誕生と展開
Ⅰ 「メディアミックス世代」と呼ばれた読者たち
Ⅱ ビジュアル重視の小説雑誌と読者―『獅子王』『ドラゴンマガジン』を例に
Ⅲ 『ドラゴンマガジン』が生んだ〝ビジュアル・エンターテインメント〟

おわりに―そして「ライトノベル」へ

あとがき
参考文献一覧
過去の作品を知りたい・読みたい・入手したい人のための資料探索ガイド
『ドラゴンマガジン』基本情報一覧(1988~1995年)

ライトノベル史入門  『ドラゴンマガジン』創刊物語: 狼煙を上げた先駆者たち ライトノベル史入門 『ドラゴンマガジン』創刊物語: 狼煙を上げた先駆者たち
山中智省

勉誠出版 2018-01-31
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なお、勤務校である目白大学の新宿図書館で現在開催中の企画展示「ライトノベル誕生の軌跡 ―ようこそ〝ビジュアル・エンターテインメント〟の世界へ」は、本書で紹介する事例の一部を含んだものとなっています。もしもご興味がありましたら、こちらもぜひご覧頂けましたら幸甚です。

【文責:山中】


マレーシアのライトノベル

2017/11/05

インドネシアのジャカルタの後は、マレーシアのクアラルンプールに向かいました。ライトノベル翻訳探しの旅は続きます。

マレーシアはインドネシアよりも人口はぐっと少ないのですが、石油や鉱物資源をうまく活用して近代国家を作り上げることに成功した国です。首都クアラルンプールは(ジャカルタに比べると)すごく洗練された都会でした。

今回も、まず目的に見定めたのがは紀伊国屋。

ジャカルタのと似たような写真が続くのもアレなので結論から書きます。日本語の本を除けば、英語、中国語、マレーシア語のマルチリンガルな本屋です。そしてこれは、他の大型書店も同じでした。状況はジャカルタと同じでした。(そして後で書くつもりですが、インドネシア語とマレーシア語はほとんど同じ言語です。)

ただ、中国語の本の比率がジャカルタで見たのよりは多い。そして、ありました!軽小説(ライトノベル)のコーナー!

そして、中華圏でおなじみの武侠小説。この分野はB級っぽかったり大河ドラマっぽかったり色々あるのですが、少しおしゃれな感じの本も並んでました。

網路小説というのはネット小説のことです。

科幻小説(SF)もあります。

これらが香港・台湾・本土からの輸入ばかりかと言うと、そうとも限らないらしい。例えば、中国語のヤングアダルト小説っぽいコーナーがあって、そこの本の出版社を見ると、マレーシアの出版社だったりします。つまり、マレーシア国内で中国語の出版をしているのです。

街歩きをしていても、中国系書店が色々と面白いのです。やってきたのはチャイナタウン。

とある店の奥を覗いてみると、まさにマンガが山積み。

日本の翻訳マンガばかりではなく、結構怪しそうな本があるではありませんか!「言情小説」というカテゴリーがあったのですが、ポルノなんでしょうか、、、

「中華圏には、もともとライトノベルっぽい小説を受け入れる素地があったのではないのか」というのが、私の仮説だったんですが、こういうセクシャル系を強く匂わせる本を見ているとますますその感を強くしてしまいます。

もう一々調べるのも面倒臭くなる物量で、ラノベっぽい本も一杯。おそらく、中国語オリジナルのものが相当並んでいるはずです。そして古本屋に行くと、アメリカンコミック風の中国マンガもあって中々に楽しかったです。

で、マレーシア語の本はどうなのか。中国語ほどではないですけれど、そこそこ健闘しています。Novel Remajaは「ティーン小説」の意味です。アレーシア語のヤングアダルト小説ということになりますが、少女小説っぽくってラノベっぽい。フィリピンと似た感じです。

マンガも、現地化していますね。

そして、、、ティーンズ向けフィクションのコーナーに目指すものはありました。

マレーシア語に翻訳されたライトノベルは米澤穂信の古典部シリーズ、『愚者のエンドロール』『クドリャフカの順番』でした。日本に帰ってきてからマレーシアの紀伊国屋のサイトで調べると『氷菓』も在庫があったらしいのですが、私が見たときにはマンガ版しか見当たりませんでした。シリーズで刊行されているのですから、そこそこ売れているということなのでしょうか。

結論として、「マレーシアにはライトノベルの中国語訳なら一杯ある。マレーシア語翻訳はまだあまりない」でした。

ところで、インドネシアとマレーシアの言語状況については考えておかなければいけない点があります。機会があれば、そのお話も書きたいと思っています。

(太田記)


インドネシアのライトノベル

2017/11/05

外国の本屋で日本のライトノベル翻訳を探すというこの連載、しばらく途絶えていました。今回、東チモール(インドネシアの東の端に位置する国)に行く機会があり、その帰りにジャカルタに立ち寄って久々にライトノベル探しに勤しみました。東チモールのライトノベル探しはやらなかったのかと聞かれそうですが、首都ディリの本屋全てを回った上で(5軒しかありませんけど)「そんなものは無い!」と断言します。あそこはそもそも書籍の絶対量が少なすぎるのと、人口が100万人なのでライトノベルの翻訳出版が行われるなんてことは当面有り得ないのです。

それはともかく、インドネシアのジャカルタは人口1000万人の大都会です。これまでの経験上、ラノベ翻訳が一番有りそうな海外の本屋である紀伊国屋に向かいました。

まず、マンガ関係から見ておくと、日本語のマンガがあり、英語翻訳のマンガとアメリカのコミックがあり、中国語翻訳のマンガがあり、インドネシア語翻訳のマンガ、インドネシア語オリジナルのマンガがあります。

日本語書籍があるのは紀伊国屋だからなのですが、マンガに限らず、書籍としては英語・中国語・インドネシア語の3言語の本が置いてあります。これは他の書店でも見られた現象で、要するにインドネシアの本屋はマルチリンガルなのです。(これはフィリピンでも、タイでも見られた現象ですね。)そして、インドネシア語よりは英語の本の方が多いようです。特に専門書の類はインドネシア語が弱いように見受けられました。

マンガの話に戻りますが、日本のマンガは英語と中国語とインドネシア語の3種類の翻訳が販売されているということになります。結構凄い状況だと言えないでしょうか?

さて、肝心のライトノベルです。紀伊国屋なので日本語のライトノベルはいっぱいあります。

英語のライトノベルを探したら”MANGA”の棚にありました、、、どうも独立ジャンルとして認めてられていない模様。

そして、インドネシア語のライトノベルを探したのですが、、、、無い!中国語のライトノベルも見当たらない!

もう一軒、別の本屋に行って見ました。こちらにはインドネシア語のマンガ(コミック)がいっぱい置いてありました。結構自前でマンガが生産されていますね。輸入マンガよりも薄くて安い感じです(値段を控えるのを失念しました!)。

中国語のオリジナル漫画(マンファ)も結構出ています。

しかし、ライトノベルは見当たりません。インドネシア語のライトノベル探し、今回は敗退のようです。

なお、紀伊国屋でも、こちらの本屋でも少女小説っぽいのがそれなりにありました。フィリピンのラノベっぽい少女小説の大群、あるいはBL花盛りのタイよりはぐっとおとなし目ですが、やはり少女小説はあるのです。

この少女小説を見ていたら、ハングルが入ってる?でもインドネシア語だし著者名からみても翻訳というわけでもなさそう。買ってきて中身を見ていると、韓国人名が出てくるので舞台が韓国なのかもしれません。

さらに表紙に「愛している」という日本語の入った本まで!これまた翻訳では無いのですが、どうも憧れの日本に行くことになった女の子の話らしい。中を見ていると”yuki-chan”(ゆきちゃん?)のような呼びかけもあります。

韓国の少女小説が中国で大流行して、「韓国っぽい」少女小説が中国で大量生産された時期があったことは知っていましたが、そのインドネシア語版もあったとは!そしてその余波なのか日本を舞台にした小説もあったとは。

一度どこかで書いた覚えがあるのですが、昭和の少女マンガにはアメリカやフランスを舞台にアメリカ人やフランス人が主人公のマンガが結構ありました。萩尾望都ですら、そういうマンガを描いていたのです。それと同じ現象が、日本や韓国を対象にしてインドネシアでも起きているのかもしれません。

(太田記)


アメリカのYA小説その後(2017)

2017/09/06

かなり前に、アメリカのヤングアダルト小説(YA)の話を書いていましたが、少し書き足しておきます。

まず、以前に紹介した”Me and Earl and the dying girl”(『僕とアールと死んでいく女の子』)
https://societyforlightnovel.wordpress.com/2016/02/17/アメリカのヤングアダルト小説1/
の日本語翻訳が8月に出版されています。

金原瑞人訳『ぼくとあいつと瀕死の彼女』ポプラ社、2019年

金原先生、やはり目をつけていらっしゃいましたか。

訳文はかなり、はっちゃけていて良い感じです。

I have no idea how to write this stupid book. (原文 p.1)
いったい、どう書けばいいんだよ。こんなくだらない話。(金原訳 p.6)

うまいなあと感心したんですが、原文と比較しながら読んでいるうちに、翻訳の恣意性というか、訳文の妥当性みたいなものについて少し考え込みました。口語に寄せすぎているようにも思えるのです。例えば、以下の訳文:

It was incredible. (原文 p.81)
すっげぇよかった。(金原訳 p.6)

原文はいかようにでも訳せるかとは思います。「信じられなかった」とか「途方もなかった」とか選択肢はかなりありますが、その中から主人公の口調として最適なものとして訳者が選んだ結果としての「すっげぇよかった」なのです。問題は、それが主人公の「語り」として妥当なのかどうかということ。

主人公は、中流のユダヤ人家庭に育っていて(作者も中流ユダヤ人)、グレている訳でもない。父親は週に一コマしか授業していないとはいえ大学教授だし、母親はNGO職員でインテリっぽい。その母親の言うことに主人公はいつも渋々ながらも従っている。黒人の崩壊家庭のアールとは付き合っているけど、悪いことには手を出さず二人で映画を撮っている。アールの家にはいくらでも転がっている、タバコにも酒にもドラッグにも手は出していない。根が真面目なんだろうなという印象です。

主人公の語りが途中で箇条書きになったりしますが、「ちゃんとした文章にするのが面倒臭いので後は箇条書きにしとくわ」のような主人公の身振りの背後に、要点をまとめてノートに取っておくのが癖になっている優等生根性みたいなものもチラチラします。つまり、この主人公は自身の語りにsucks(金原訳「サイテー」)みたいな俗語を多用していますけれど、真面目な子が少し無理して俗っぽく語っている印象が強い。というか、語りの中のそういう俗語表現のギャップみたいなものを楽しむ小説であるような気がするのです。しかし、金原訳は全体を口語表現に寄せます。例えば、以下の文章です:

In fact, high school is where we are first introduced to the basic existential question of life: How is it possible to exist in a place that sucks so bad? (原文p.5)
だって、高校ってところは人生で誰もが抱くこういう疑問に初めてぶち当たる場所だから。どうやったらこんなサイテーなところで生きていけるんだ?(金原訳)

“the basic existential question of life”が「人生で誰もが抱くこういう疑問」と訳されてます。以前、私がこの本を紹介した時にはこの翻訳本は出てませんでしたから、私は勝手にこの部分を「人生の基本的実存的問題」と訳しておきました。原文にはexistentialという少し硬めの単語が使われる一方で、その直後の太文字部分ではa place that sucks so bad(クソみたいに最悪な場所)という俗語(sucks)混じりの表現が出てきますから、そのギャップみたいなものを強調してみた訳です。金原さんの訳「the basic existential question of life/人生で誰もが抱くこういう疑問」では砕いて訳しすぎじゃないのか。そんなことを思いました。

ただ、まあ、ラノベ的な文章に慣れた日本の読者相手には丁度良いのかなとも思えます。翻訳では、誰が読むのかを考えて、そこに合わせて訳文を考えていかなければならないのですが、今の日本の標準的な若い読者層を考えた場合、こういう語りで読ませてしまうのも十分ありなのかなとも思えました。

ともあれ、英語でしか読めなかった時にはなかなか人にオススメできなかったのですが、これで気楽にオススメできます。是非どうぞ。

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次に、アメリカの本屋のYAの棚をぶらぶら歩いていて、「書店員のオススメ」みたいなポップを頼りに本を漁っていたらこんな本にぶち当たりました。Jerry Spinelli “Stargirl” Ember

2000年の作品なので決して新しい小説ではありませんが、書店員がオススメするということは、流行り廃れが激しいYAの中での古典的なポジションの作品なのかもしれません。よくよく調べると、日本語の翻訳も出てました(『スターガール』2002年、理論社)。面白かったので、英語で読み切っています。

読み始めてすぐに「これはMPDG(マニック・ピクシー・ドリーム・ガール)じゃないか!」と驚きました。MPDGについては https://societyforlightnovel.wordpress.com/2016/03/08/アメリカのヤングアダルト小説(5)/ でも紹介しましたが、日本語で雑に訳すと「躁的不思議ちゃん」。一言で言えばエキセントリックで突拍子も無いことを言ったり実際にやっている女の子に、平凡な男の子が振り回される話です。実際、慌てて検索してみたら、これはMPDGの元祖的な作品だとしている人もいました。

Stargirlではヒロインは奇妙奇天烈な衣装で学校に現れて(アルプスの少女ハイジっぽかったり、キモノだったり、西部開拓時代の格好だったりします)、背中にはウクレレを背負っていて、昼休みの食堂ではその日の誕生日の生徒のために「ハッピバースデー、トゥーユー」を歌い、数学の授業では突然、自作の「二等辺三角形の歌」を歌ったりします。当然生徒たちはドン引きなのですが、彼女は全く意に介していない(ように見えます)。学校中が彼女の存在をいぶかしむ描写が続く中で、以下のような文章が出てきます(太田訳):

雲ひとつない学校の上空にたった一言が浮かんでる感じだ。

          はあ?

以前MPDGを紹介した際に、涼宮ハルヒの翻訳ノベルがアメリカで例外的に売れたのは、もともとああいうキャラクターはMPDGとしてアメリカのYA市場では普通に受け入れられていたからということを書いた私としては、ちょっと見逃せません。そう言えば、ハルヒの翻訳本の表紙はこの本の表紙に雰囲気がかなり似ていませんでしょうか?おそらく出版社も似たような読者層を狙ったものと思われます。考えてみるとハルヒの出版は2003年なので書かれた時期もかなり近いのです。

もっとも似ているのはヒロインがぶっ飛んでいて、周りとズレているというところだけで、話の内容は『ハルヒ』とはかなり違います。
ハルヒはサブカル系の事柄(タイムトラベル、宇宙人、超能力者etc)に固執しますが、スターガールが固執するのは「親切」とか「思いやり」。そして、ハルヒが一般の生徒からは変人扱いされて放っておかれているのとは対照的に、スターガールは学校中からネグレクションを受けます。同調圧力と、それに従わない者を村八分にする学校社会問題みたいなものが扱われることになるわけです。そしてハルヒの内面があまり描かれない(『涼宮ハルヒの憂鬱』でヒロインの内面吐露が一箇所だけ出てきて、その後は一切内面描写されなくなる)のに対して、スターガールの内面はかなり突っ込んで描かれます。ということで、日本のライトノベルからは少し離れた、正統的なYA小説ではあります。
ところで、この小説の語り手の男の子というのがかなり情けない。スターガールが一時的に学校の人気者になって、そこから村八分に転落する直前のタイミングで彼はスターガールと恋仲になるのですが、そのために彼も一緒にネグレクションを受ける羽目になります。最初は二人でなんとか事態を打開しようと頑張るのですが、彼はやがて諦めてしまい、そこから先はスターガールが一人で自分を貫いていく姿を傍観していくだけ。スターガールはおそらく少女小説なので、語り手の男の子は視点として利用されているだけなのだろうとは思いますが、それにしても情けない!
こうしてみると『ハルヒ』の語り手(キョン)というのは、傍観者の立場を保持しながらも、語りが相当に個性的だったし捻くれていて、そこがあのテキストの読ませどころだったんだろうなと再認識できました。

(太田記)


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