アメリカのヤングアダルト小説(5)

ライトノベル研究会のブログでヤングアダルト小説の話を延々と続けるのも問題なので、そろそろ終わりにしましょう。

一連の話は「ライトノベル翻訳がアメリカで苦戦したのは、ヤングアダルト小説の市場がすでにアメリカで確立していたから」という説を検証するためには、実際のヤングアダルト小説を読んでみなければならないだろうというところから始まりました。その結果、それなりに楽しい世界が広がっていたことは確認できたのですが、このヤングアダルト小説というのは、アメリカの他の文化に対してどういう位置付けなんでしょうか?

今回紹介するのは、長谷川町蔵・山崎まどか『ヤング・アダルトU.S.A. –ポップカルチャーが描くアメリカの思春期』(DU Books, 2015)という本です。この著者達は『ハイスクールU.S.A. 〜アメリカ学園映画のすべて〜』(2006)という前著で「学園映画」というくくりでアメリカ映画のあれこれを紹介しているのですが、今回のこの本ではジャンルの壁を取っ払ってポップ・カルチャー全域で「アメリカの青春時代」を考察したんだとしています。当然のことながらヤングアダルト小説も取り上げられていて、それで私は手に取りました。
YoungAdultInUSA
もっとも、小説のことを語っているようで、実は映画化されたものについてしか語っていなかったりして、どうしても映画やドラマ中心がなってしまい、そのあたりは物足りなかったのですが、それでも示唆されるところは大きかったです。つまり、この著者達のようにアメリカの映画やTVドラマ漬けの人達からすると、ヤングアダルト小説というのは、映画やドラマの「周辺ジャンル」、あるいは並走しているジャンル作品に見えるらしい。それは日本のアニメ漬けの人達がライトノベルをアニメやマンガの周辺ジャンルもしくは並走ジャンルとみなし、「字で描くマンガ」などと表現するのとそっくりな現象なのではないかということなのです。

ライトノベルがアニメやマンガの原作供給源であったり、メディアミックスの対象になるのと同様に、ヤングアダルト小説は映画やドラマの原作供給源として機能しています。これまで紹介してきたヤングアダルト小説も、映画化あるいはドラマ化されたものは結構あるし、映画化されたことで本がさらに売れ出すという現象もあります。私が、アメリカ書店で手を伸ばした平積みのヤングアダルト小説たちも、映像化されたことで平積みされていたようでしたし。

興味ふかいことに、著者の山崎は「「大人が読むYA小説」は今やトレンドみたい。調査によると、アメリカでのYA小説の三分の一は、子供を持たない三十代から四十代の大人らしい」(『ヤング・アダルトU.S.A.』p.96)と言い、続けて評論家が「成長した大人が子供の読み物を楽しむなんて、恥ずかしい」と書いたらネットで炎上したとも紹介しています。「それくらい大人のYA読者は熱いんだよ」というのです。これは、ゼロ年代における日本のライトノベル読者とそっくり同じ現象ではないでしょうか。

この著者たちのような、「青春映画・ドラマ中心主義者」たちから見ると、たとえば2002年の映画『スパイダーマン』も学園青春映画の枠組み(特に学校内の人間関係)にSFの要素が入ったものになりますし、もちろん『トワイライト』みたいなバンパイアものは学園青春映画そのものということになります。つまり学園映画をベースにして、ラブロマンス、SF、伝奇、コメディ、様々な要素がミックスしてマルチ・ジャンル化を起こしていることになり、これも日本のアニメ・マンガ・ライトノベルの状況に大変よく似ています。(最近の日本は学校を舞台にしたものがいまひとつですが、、)

また、類型的キャラクターというのにも触れています。あるジャンルで作品群が量産されれば当然登場人物のキャラクターの類型化も進みますが、たとえばマニック・ピクシー・ドリーム・ガール(MPDG)というのが最近は良く出てくるらしい。無理やり訳せば「躁的不思議ちゃん」。奇矯なところがある美人で、主人公の平凡な男の子は彼女に振り回わされながら色々な体験に引き込まれていきます。『ペーパー・タウン』のヒロインなんかがその典型ですね。おそらくアメリカ人には、<涼宮ハルヒ>シリーズのハルヒも典型的なMPDGに見えていたはずです。

もちろん、当のアメリカ人たちはそういう「青春学園映画」をジャンル・ムービーとしてはあまり認識していないのですが、日本のポップカルチャーで大きな位置を占めているアニメ・マンガと似たような現象が、アメリカでは青春映画やドラマを中心として起きているんだと見ることは可能なのではないでしょうか。

ここで少し読者層というものも考えてみたいのですが、アニメやマンガの原作としてライトノベルを読む、映画・ドラマやの原作としてヤングアダルト小説を読むという需要は一定数あるにしても、読者がそれだけであるならば市場はごく限られたものになります。しかし、映像化されるまで誰も読まないならば、あるいは映像化前提で無ければ誰も読まないのであれば、こんなに多様な作品群は生まれようもありません。ライトノベルにしてもヤングアダルト小説にしても、それらが如何に映像メディアと親和性が高かろうとも、それを小説として享受する読者層が一定数存在するからこそ市場が成立しているのです。アニメやドラマを見ればあっという間に物語を知ることができるのに、わざわざ小説を読むのは、小説には小説の楽しみ方があるからです。

現に、2作を紹介したジョン・グリーンの小説だって、『ペーパー・タウン』ではホイットマンの『草の葉』が重要な役割を果たしますし、『アラスカを追い求めて』でも古典文学への言及が大変に多い。そういう小説を享受できるだけの素養を持った読者層がアメリカの中で、どのぐらいの割合を占めるのかは分かりませんが、そういう読者たちがヤングアダルト小説を享受していることは間違いないでしょう。

さて、アメリカにライトノベルの翻訳が現れた時に、手を出した熱心なアニメ・ファン(つまりオタク)は居たでしょうけれども、SevenSeas社、TokyoPop社、DelRayが相次いで撤退したことに顕著なように、商売としてはなかなか根付きませんでした。それは、それらのライトノベル翻訳では、普段小説を読む読者層の需要を満たせなかっただろうと想像できます。以前に紹介したように、それらの翻訳は、日本語での崩れた表現は端折ったり、簡単な英語で置き換えたものであり、物語の筋を追うぶんには分かりやすいかもしれない。しかし、ヤングアダルト小説という分野で揉まれてきた読者を相手にするには、物足りなかったものと想像できます。

ライトノベルの継続的翻訳に唯一成功したのはYenPress(現YenOn)ですが、彼らが最初に手をつけた全4作のラインナップに”Book Girl”/『文学少女』や”Kieli”『キーリ』といった、映像化展開が弱かった2作品を入れてきたのは興味深い。それらの作品では、アニメ作品のファンが購入することを見込めなかった筈ですから、YenPressは明らかにこれらを映像化を前提としない読者向けに出版しています。

そして以前に紹介したように、その頃のYenPressの翻訳ライトノベルは端正で明快で崩れたところがない英語であり、日本語の原文の崩れた文章は徹底して規範的な文章に置き換えられていました。我々の目から見れば、そういう英文は「ライトノベルっぽく」無いのですが、YenPressは敢えてそのような戦略を取ることで、(アニメやマンガへの素養と共に)小説も読むような読者も、とりあえず小説として読めるようにしたものと思われます。

という訳で「アメリカにおけるライトノベル翻訳の不振」について、ヤングアダルト小説を軸にして考えてみました。日本式アニメやマンガのようなインパクトを、ライトノベルがアメリカで発揮できなかったのは、すでに存在していたヤングアダルト小説群の水準に対抗できるような翻訳では無かったからでは無いだろうか、というのが私の推測です。

(報告:太田)

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