ライトノベル海外翻訳事情 台湾編(2)

ということで、前回の(1)では「台湾でのライトノベル翻訳出版は、日本でのスタイルをそのまま踏襲している」とさせて頂いたのですが、今回は少し細かいところに突っ込んで行きます。

翻訳本をパラパラめくりながら私の眼にとまったのが「著者近影」。というか、「かつては著者近影を意図した筈が、よく分からないものに成り果ててしまったアレ」です。私が何を言いたいかお分かりでしょうか?ブックカバーの折り返しのところに記載されている著者紹介欄に添えられた写真のことなのですが、実物を見ていただくのが手っ取り早そうです。

普通の書籍では、ここに来るのは「著者近影」です。日本のライトノベルでは電撃文庫が、このスタイルを使いましたが、上に掲げたように、作家さんたちのお遊びの場と化しています。私はここでまともな人物写真を見たことがありません。辛うじて秋山瑞人さんのものが肖像写真の原型をかろうじて留めていた程度でしょうか。(追記:壁井ユカコさんのはまともな肖像写真でした。)

様々な趣向の凝らされたライトノベルの「あとがき」は著者の屈折した自己表現と見ることができるのですが、これらの「著者近影」もその屈折が見事に表出しているのではないか。かねがね私はそう思って来ましたが、それはさておき。英語、フランス語、ドイツ語、韓国語のライトノベル翻訳本を見てきた私も、この「著者近影」を使った例を見たことはありませんでした。ところが、台湾版でそれがあったのです。以下に3冊ばかり、台湾の翻訳ライトノベルのカバー折り返しをお見せします。絵をクリック頂ければ拡大画像も見られますので、これらが日本のものではないことも納得頂けるかと思います。

  

好日文化が昂じて、こういうネタまで持ち込んでいるのですね。これは、韓国の翻訳でも見られなかった現象です。(繁体漢字に交じって、ひらがなとカタカナが印刷されていることについては後述します。)

これと関連して、カラー口絵の話もしておきましょう。一般にライトノベルというのは、アニメ・マンガ風カバー、カラー口絵、マンガ絵の挿絵、著者あとがきの4点セットを揃えていると思われており、私も今回の調査ではこの4点セットが各国で、どの程度満たされているのかということを一つの指標としてみてきました。でも、「ライトノベル」に分類されている書籍がいつもこれを満たしているわけでもありません。講談社ノベルズの『戯言』シリーズはその典型で、カラー口絵を欠いていますし、集英社コバルト文庫の『マリア様がみてる』もそうです。ですから、韓国版でもそれらはカラー口絵を欠いているのですが、台湾版の『マリア様が見てる』には、折り込みのカラー口絵がありました。

つまり、台湾の読者層は『マリア様がみてる』に「ライトノベルっぽさ」を求めているという判断があって、元々存在しなかったカラー口絵を翻訳出版時に補ったんじゃないかと思われるのです。

出版形態としてのライトノベルというのは、いくつかの出版社が試行錯誤しながら出来上がったものですし、上記の「4点セット」にしても、そうでなければならないという決まりがあった訳でもありません。だから、コバルト文庫や講談社ノベルズなどの、ライトノベルとしては微妙なレーベルの場合、完全にそのフォーマットに合わせては、いませんでした。しかし、角川の戦略が功を奏したのか、台湾市場では「ライトノベルかくあるべし」というイメージが出来上がってしまい、元来はライトノベルとして微妙だった『マリア様がみてる』も、そこに合わせ込んでいるようにすら見えるのです。

もうひとつ、台湾翻訳事情で驚いたのは「ひらがな」と「カタカナ」です。写真をみてください。左は『とらドラ!(Tiger×Dragon!)』カバーの著者名部分、右は『灼眼のシャナ(灼眼的夏娜)』のそれです。

漢字で補足されずに、「ひらがな」あるいは「カタカナ」が表記されていますね。日本で言うと、翻訳書で原作者名がカタカナではなくて、アルファベットでそのまま書かれているようなイメージですが、そういうことが出来るのは読者が違和感なくアルファベットで著者名を読む/読めることが前提になります。そこから敷衍するに、台湾のライトノベル読者は、平仮名片仮名を普通に受け入れているらしい。まあ、1945年までは日本語が公用語だったという地域なのですが、垣根の低さを見せつけられた気がしました。

こんなふうに韓国や台湾の事情をみていると、ライトノベルの浸透に時間がかかったアメリカや、まだ壁が厚そうなフランスと、壁など無い如くにライトノベルが浸透した韓国・台湾の差はどこにあったんだろう?という気がします。韓国・台湾と同様に、アメリカでもフランスでも日本製アニメやマンガに熱狂するファン層が形成され、それが拡大していく過程で、その周辺文化(コスプレ、ゲーム、J-popなど)も受容されていくというコースを辿りました。韓国・台湾ではライトノベルもその一環と解釈できるのですが、なぜかアメリカとフランスでは苦戦しました。「小説」という形式は案外に文化障壁が高く、その障壁を超える要因は文化によって異なるということなのでしょうか。

(報告 太田)

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